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国有林投資 林野庁「緑のオーナー」破綻
「緑のオーナー」訴訟の判決がもたらすもの 田中 淳夫 | 森林ジャーナリスト 2014年10月9日 22時8分10月9日午後1時15分、大坂地裁の1010号法廷で「緑のオーナー制度」の損害賠償請求裁判の判決が言い渡された。
私は傍聴に訪れたのだが、原告が239人もいる裁判だけに傍聴席も満員である。私はかろうじて入ることができた。
「緑のオーナー制度」は、1984年に林野庁が設立したもので、1口50万円で林齢30年程度の人工林(国有林)に投資して、15~30年後に生長した木を伐採して販売した収益を分配する仕組みだ。いわゆる分収育林である。契約人数が全国で8万6000人、契約口数は述べ約10万口・集めた資金は総額500億円にものぼる。
当初は、森を守りながら安定した利益を上げて資産形成ができることをウリにしていた。ところが、木材価格の下落でほとんどが元本割れを起こしてしまった。元本の半額以下になったケースも多く、それに対する損害賠償請求裁判が起こされたのである。
判決文の読み上げは、複雑な法廷用語が次々と繰り出され意味を捉えるのに苦労したが、「……国は原告に支払え……」という言葉が聴こえた。この瞬間、原告が勝訴したことを理解した。
ただし、その後も、さまざまな条件が並べられる。請求が認められた原告には過失相殺の割合があるほか、契約年や訴え提起時までの年数……等々で判決内容は分かれる。おそらく原告の多くも、自分がどの条件に該当するのか、どれほどの金額が賠償されるのかすぐに理解できなかったに違いない。
細かな内容は、今後の報道や解説に期待するが、国に総額約9000万円以上の賠償が命じられた事実は重い。もちろん、国が今後控訴するかどうかわからないが、国の信用を利用した分収育林契約の破綻と、その契約時の説明に著しい齟齬があったことは認めざるを得ないだろう。
私自身には、想定内の判決だった。林野庁の「緑のオーナー制度」の募集パンフレットは私も見たが、実に雑な書き方だ。とても投資商品の説明になっていない。リスクの説明も当初はなかった。
しかし、販売元が国であろうと、投資商品にはリスクがつきものなのは、理解しておくべきだったろう。そもそも募集時には林業不況は進んでおり、木材価格も低迷していた。十分な利回りが期待できないことは想像できる。1993年以降のパンフレットには「元本保証はされない」旨、記されるようになった。自分で何も調べずに投資するのは、どんな金融商品でも危険なのだ。
ところで、この「事件」で私が問題と感じるのは、林業への投資は危険だと、世間に思わしめたことではないかと思う。
改めて林業の歴史を振り返ると、近代以降は常に外部から資本の注入を受けている。別の商売で利益を得たものが、森林に投資することを繰り返しているのだ。豪農や豪商、あるいは醸造家などが、資金に余裕ができたら山を買うというのは珍しくない。そもそも分収林契約は、江戸時代から行われてきたし、先進林業地では林地と立木の権利を分離して、売買を繰り返してきた。
それが林業にダイナミズムを生み出し、利益を上げるための工夫につながった。新商品を生み出したり、新たな需要を探し出して、うまく当てると大金持ちになれるのだ。
また現代社会でも、海外では森林への投資案件は非常に多く盛んだ。森林を扱うファンドも存在する。世界的には、森林ビジネスは成長株なのだ。
もちろん投資に失敗して多大な損害を追うケースも、古今東西、珍しくない。林業地を訪れると、森林経営に失敗して逼塞した一家の話もよく耳にする。しかし長期的な資産管理の手法として、森林経営は十分魅力的らしい。有望な業界には、多くの資金が流入するものなのである。
だが、緑のオーナー制度の失敗は、日本における森林投資の信用を失落させた。それは林業政策への信用を落とすと同時に、民間資本が林業に投資する意欲を失わせるのではなかろうか。海外とは正反対である。
そのせいか、日本の林業界は恒常的に資金不足である。今や森林につぎこむ資金は、補助金頼りが当たり前になってしまった。補助金は返さなくてもよい資金と思われがちで、健全な経営の確立につながりにくい。こちらの弊害の方がボディブローのように効いているように思う。
田中 淳夫森林ジャーナリスト
日本唯一にして日本一の森林ジャーナリストとして、自然の象徴としての「森林」から人間社会を眺めたら新たな視点を得られるのではないか、という思いで執筆活動を展開。主に森林、林業、そして山村問題に取り組む。自然だけではなく、人だけでもない、両者の交わるところに真の社会が見えてくる。