:県庁へ質問⇒遺族会等 連絡先⇔安倍政権⇒閣議決定⇒軍靴の音が♪からんころんんと下駄の様に大きく聞こえだした!
:「虎の威を狩る狐」大手を振って(出世狙いの成績優秀狡猾軍人)⇒「“そこどけ!そこどけ!(天皇★陛下の)皇軍様が御通りだ”」
:父親談:「“兵隊が偉そうで仕方なかった⇒負けて良かった”」
:母親談:「“艦載機機銃掃射されて⇒気が付いたたら⇒仁徳天皇陵まで逃げた”」
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2013年03月08日 歴史、史実、記録 軍事 戦争 紛争
東条英機元首相逮捕に向かった米兵死去 米国
韓国中央日報2013年3月6日の記事に、太平洋戦争の主犯・東条英機元日本首相を逮捕した米国情報活動部隊の元隊員 ジョン・ウィルパーズ・ジュニア氏:John J. Wilpers Jr:右 が2013年2月27日に死去したと、AP通信が3月4日(現地時間)報じた。94歳だった。ウィルパーズ氏は、日本が降伏文書に署名した9日後の1945年9月11日、東京郊外の自宅にいる東条を逮捕しろという命令を受けた5人組の一人だった。東条は逮捕される直前、胸に銃を撃って自殺を図ったが、弾丸は心臓を外れた。ウィルパーズ氏は日本人医師に銃を向けて救命処置をさせ、まもなく到着した 米軍医官が東条を生かした。ウィルパーズ氏がいなければ、東条を戦犯裁判に立たせることができないところだった。ウィルパーズ氏は東条逮捕作戦に参加した後、中央情報局(CIA)要員として働き、引退した。2010年には米陸軍から勲章が授与された。(この日本語記事の元になった英文記事)参照記事
東条英機元日本首相の自殺の経緯は相当昔に再現ドラマで見た記憶がある。上は亡くなったウィルパーズ氏の晩年と元気だったころの写真だが、娘さんが持っている写真に興味があった。肖像権の絡みか、日本ではあまり公表されていないのではないだろうか?公表されていたとすれば、昔あった写真誌LIFEの中くらいだろう。1979年に撮った、娘さんが持っている上の額に入った写真には、東条氏の自殺直後の姿と、若いウィルパーズ氏が拳銃をもった姿が映っている。探し当てたのが右の写真で、当時世田谷区用賀の自宅には、自決を想定した米軍が救急車を用意していて、午後4時19分、左胸部を撃った銃声と同時に乗り込み、呼びつけた日本人医師を銃で脅し「どうやってでも死なすな!」と命じ、やがて駆けつけた米国人医師の救急処置と第98陸軍野戦病院での手術で、東条氏は一命を取り留める。しかし、助かったことで国民からは不評を買ったという。法廷で東条氏はすべて自分の責任で天皇には責任はないと整然とした論理を展開し、処刑後の遺骨は遺族に戻ることなく米軍により太平洋に散骨された。参照記事
なぜ自殺に失敗したかなどは、いまだに多くの説がある。東條英機自殺未遂事件
左利きなのに右手で撃ったからとか、娘婿の銃でうまく撃てなかったとかあるが、まだ意識のある時に、同行していた日本人記者に語ったという内容では、「畠山(東條の秘書であった畑山の誤記;左の帽子の方)水をくれ・・・腹を切って死ぬことは知っているが間違って生きたくない。責任は了した。死体は引き渡したらよい、俺の死体はどうなってもよい、遺族には言い渡してある、死体は遺族に引渡さなくともよい。しかし見せ物ではないとマッカーサーに言ってくれ。、、」と語ったとなっている。しかしこの話も、当時の朝新聞の記者のねつ造だとかいろんな話がある。参考記事 当時は、立派に死んでもらいたいと思う人、生かして裁判にかけさせたい人、狂言自殺だとして恥をかかせたい人、そう思われたくない人など、いろんな人間の思惑が交差し、乗り込んだ米兵が撃ったという説も有るようです。個人的な疑問もある。32口径という大型拳銃で肺を貫通したというなら、応急処置があったとしても、数時間後の輸血まで出血多量にならなかったのが不思議な気がするし、肺を撃ち抜いて長々と語ること等できるだろうか?ここでは、放っておけば散逸してしまう写真を歴史の貴重な一コマとして、写真の経緯説明と合わせネット上に保存しておく事が目的です。
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東条英機元日本首相の自殺の経緯は相当昔に再現ドラマで見た記憶がある。上は亡くなったウィルパーズ氏の晩年と元気だったころの写真だが、娘さんが持っている写真に興味があった。肖像権の絡みか、日本ではあまり公表されていないのではないだろうか?公表されていたとすれば、昔あった写真誌LIFEの中くらいだろう。1979年に撮った、娘さんが持っている上の額に入った写真には、東条氏の自殺直後の姿と、若いウィルパーズ氏が拳銃をもった姿が映っている。探し当てたのが右の写真で、当時世田谷区用賀の自宅には、自決を想定した米軍が救急車を用意していて、午後4時19分、左胸部を撃った銃声と同時に乗り込み、呼びつけた日本人医師を銃で脅し「どうやってでも死なすな!」と命じ、やがて駆けつけた米国人医師の救急処置と第98陸軍野戦病院での手術で、東条氏は一命を取り留める。しかし、助かったことで国民からは不評を買ったという。法廷で東条氏はすべて自分の責任で天皇には責任はないと整然とした論理を展開し、処刑後の遺骨は遺族に戻ることなく米軍により太平洋に散骨された。参照記事
なぜ自殺に失敗したかなどは、いまだに多くの説がある。東條英機自殺未遂事件
左利きなのに右手で撃ったからとか、娘婿の銃でうまく撃てなかったとかあるが、まだ意識のある時に、同行していた日本人記者に語ったという内容では、「畠山(東條の秘書であった畑山の誤記;左の帽子の方)水をくれ・・・腹を切って死ぬことは知っているが間違って生きたくない。責任は了した。死体は引き渡したらよい、俺の死体はどうなってもよい、遺族には言い渡してある、死体は遺族に引渡さなくともよい。しかし見せ物ではないとマッカーサーに言ってくれ。、、」と語ったとなっている。しかしこの話も、当時の朝新聞の記者のねつ造だとかいろんな話がある。参考記事 当時は、立派に死んでもらいたいと思う人、生かして裁判にかけさせたい人、狂言自殺だとして恥をかかせたい人、そう思われたくない人など、いろんな人間の思惑が交差し、乗り込んだ米兵が撃ったという説も有るようです。個人的な疑問もある。32口径という大型拳銃で肺を貫通したというなら、応急処置があったとしても、数時間後の輸血まで出血多量にならなかったのが不思議な気がするし、肺を撃ち抜いて長々と語ること等できるだろうか?ここでは、放っておけば散逸してしまう写真を歴史の貴重な一コマとして、写真の経緯説明と合わせネット上に保存しておく事が目的です。
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