(毎日新聞 2008年10月26日)
和歌山電鉄貴志川線貴志駅(紀の川市)の猫の駅長「たま」に、「爵位」を贈る。人に限らず、和歌山を全国に発信した功績をたたえる新制度「★勲功爵」の第1号。28日に授与式がある。
仁坂吉伸知事は「和歌山の知名度を上げ、観光客増加につながり、明るいニュースをもたらしてくれた。ただの感謝状ではなく、名が残るものを贈ろうと決めた」と話した。
たまは今年1月、「駅長」から課長級の「スーパー駅長」に。同電鉄は「今回の受章で『たま卿(きょう)』になる」と喜んでいる。【最上聡】
:お疲れ様でし「たま駅長・副社長」⇒世界から賞賛!観光客動因⇒和歌山電鉄赤字⇒廃線救済!感謝!三毛猫を駅長任命した社長の小嶋光信の英断!
: ⇔「いるかショー」は西欧列強からバッシング・口撃材料とされたが!
さんじゅ 【傘寿】 八十歳(の祝い)。⇔「我がたま副社長は永遠に不滅です」
:たま副社長埋葬地⇒聖地! ⇒永久に不滅の観光地=30年前の1985年、空海入滅★1150年!高野山開創1200年記念大法会が高野山真言宗総本山金剛峯寺で行われている。
仏舎利 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/仏舎利
仏舎利(ぶっしゃり)とは、入滅した釈迦が荼毘に付された際の遺骨及び棺、荼毘祭壇の灰塵を指す。「我が巨人軍は永久に★不滅です!」という言葉を残した。この言葉は、しばしば「★永遠に不滅です」と★誤って引用される場合も多く見られる。
「家康公の御遺体はここにあるのか」ということ。
家康は元和2年4月17日(1616年6月1日)に駿府城で
75年の生涯を終え、遺言によってこの久能山に埋葬された。遺体は、
一周忌後の元和3年(1617年)、下野国日光に改葬されたと伝わっている。それは家康が「遺体は★久能山に納め、★一周忌が過ぎたならば、
★日光山に小さな堂を建てて勧請し、神として祀ること」と遺言しているからだ。
社長の小嶋光信は両備グループ代表・岡山電気軌道代表取締役社長などを兼務。 ... 和歌山電鐵株式会社 2015.6.24 20:42
たま駅長、天国へ 見舞いの和歌山電鉄社長に「ニャー」と別れ際に…“招き猫”の仕事全う、悲しみの声相次ぐ 16歳の誕生日にケーキをプレゼントされた和歌山電鉄貴志駅駅長の三毛猫「たま」=4月29日、和歌山県紀の川市24日、天国へ旅立った和歌山電鉄貴志川線貴志駅(和歌山県紀の川市)の三毛猫駅長で同社社長代理の「たま」(メス)。急性心不全とみられ、人間の約80歳に相当する16歳だった。
同社によると、たまは5月から動物病院に入退院を繰り返していた。死ぬ前日、同社の小嶋光信社長が見舞いに訪れた際は立ち上がって「ニャー」と鳴いたという。和歌山電鉄は28日午後0時半から貴志駅で★社葬を執り行う。
駅前の商店で飼われていたたまは、平成19年1月に「猫の駅長」に就任。物珍しさと愛らしさで一躍人気者となり、★存続の危機にあったローカル鉄道に多くの乗客を呼び込む★「マネキ・招き猫」として話題を集めた。
写真集などグッズの売り上げでも貢献し、20年にスーパー駅長、25年に社長★代理に出世。4月29日に★16歳の誕生日を迎え、★「傘寿」を祝ったばかりだった。
和歌山県の仁坂吉伸知事は「観光のスーパースターとして国内外から絶大な人気を誇り、県の観光振興に大いに貢献した。深い悲しみとともに感謝の気持ちでいっぱいだ」とのコメントを出した。 (朝日新聞デジタル)