:自民党(背後には宗主国アメリカヒカ・控え)⇒ツブ・潰すされ無い為の嘘も方便⇒偽装だったら・・・!?
:過去に社会党も公明党も⇒今回⇒大阪維新の会・・・権力と金の接着剤は最強!トホホ!
:「特権 権威 信頼 有形力には敵わない ⇔吉田松陰:ソウモウクッキ・草莽崛起・・・」
◆検索: http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S63/S63HO108.html
附則18条2項 ★未施行 平成24年8月22日 法第68号⇒「200兆円国土強靭化泥棒合法化⇒多数決済み」
2 税制の抜本的な改革の実施等により、財政による機動的対応が可能となる中で、我が国経済の需要と供給の状況、消費税率の引上げによる経済への影響等を踏まえ成長戦略並びに事前防災及び減災等に資する分野に資金を重点的に配分することなど我が国経済の成長等に向けた施策を検討する。
「橋下新党こそ偽物」=松井氏の政権寄り発言暴露-維新・江田氏
維新の党の江田憲司前代表は23日、富山県小矢部市で講演し、橋下徹大阪市長が率いる国政新党「おおさか維新の会」について、「大阪都構想実現のために安倍官邸と手を組んでいかないといけなくなる。どうぞ与党の方に行ってください」と述べ、一線を画す姿勢を示した。その上で「大阪側から『偽物』と誹謗(ひぼう)中傷を受けたが、野党勢力結集という公約を違えた方が『偽物』だ」と批判した。
橋下新党、民主と★競合へ=参院選に積極擁立方針 江田氏は、維新分裂の引き金となったのは、松井一郎大阪府知事が安倍政権寄りの姿勢を明言したことだと説明。松井氏が6月に江田氏と会談した際に「自民党と手を組んで政策を実現していく。われわれはもう政権交代を目指さない」と述べた、と暴露した。また、江田氏は自らのフェイスブックで、大阪府知事・市長ダブル選挙の終了を受け、5月の代表★辞任以来の「謹慎を解く」と宣言。野党再編に向けた取り組みを活発化させる意向を示した。 (2015/11/23-20:02)
橋下氏「今の維新は偽物」 結党表明会見 新党名は「おおさか維新の会」 2015/10/1 18:56 記者会見する大阪維新の会の橋下代表(左)と松井幹事長(1日午後、大阪市北区)
橋下徹大阪市長は1日の大阪市内での記者会見で、国政政党「おおさか維新の会」を結成すると正式に表明した。「徹底した改革をおこなう。中央集権国家の仕組みを多極型体制に変える」と訴えた。10月24日に結党大会を開き、執行部の体制などを決める。
橋下氏は新党名に「おおさか」を入れた狙いについて「地方分権、東京一極集中の是正の象徴だ」と説明。「大阪を副首都にしたい」と強調した。
離党した維新の党に関しては「今の維新は偽物。国会議員の身分を守るために民主党とくっつくだけだ」と述べ、民主党と進める野党再編を批判した。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/4935109.html
質問者:imperialho 質問日時:2009/05/06 09:08 回答数:4件公明党と自由民主党が連立政権を組んだ経緯について真面目にお聞きしたいのですが---。
公明党は以前は純粋な野党として活動し、1994年には非自民を掲げて新進党に合流して一度解党するなどしたのに、又再結成され1999年に自由民主党と連立政権を組んで今に至っていますが、どうしてこういう流れになったのでしょうか?
自由民主党も以前は創価学会と公明党との関係を国会で問うなどしていたのに、どうして今に至る連立政権を?
Wikipediaを見てもどうしてもよく分からず、事情をよく知る方から真面目に経緯を聞いて勉強したく、よろしくお願いいたします!
No.4ベストアンサー 回答者:DDRSDRAM 回答日時:2009/05/08 01:59
細川連立内閣あたりから公明党の方針が変わったという点が1点、自民党の支持率が下がって単独で過半数を取れなくなったのがもう1点でしょう。 公明党の方針が変わった背景・公明党自体は1980年代には議席数が総議席の1割程度で飽和し得票も伸びず、万年野党の状態になっていました。
・1993年に選挙制度改革をきっかけとして自民の竹下派(旧田中派)が分裂、選挙後に小沢一郎が中心になって細川連立内閣が成立したものの、細川-羽田内閣はもともと寄せ集めで方針が定まらず短期で崩壊しました。ところが、竹下派分裂→選挙の流れで選挙制度改革法案が通ってしまい、小選挙区制になりました。このため、小政党では小選挙区で当選できず党の併合の話や新党構想が出ては消えるという状態になりました。
公明党のその後
・自民と連立したさきがけ、社会党以外の政党で新進党結成、ところが公明党は地方組織「公明」を残し新進党と併合しませんでした。この辺は諸説があって、池田大作の小沢一郎に対する不信感とか、方針の違い、池田大作が公明を手放すのを嫌がったなどがあります。
・結局、次の総選挙で勝てず公明が離脱して、もともと寄せ集めだった新進党は崩壊しました。
・単独では小選挙区を戦えない公明党は自民との連立、選挙協力の道を選びました。自民党との併合は模索していないようです。
・今後の波乱要因としては自民が下野した場合の対応が不明、池田大作死亡または病気などによる引退時の混乱の可能性などです。
結論
小選挙区導入で単独での生き残りが難しくなったが、池田大作個人政党の意味合いが強く政党合併には消極的なため連立に走った。小沢一郎とは完全に仲たがい。民主党政権奪取時には方針転換があるかも。その場合は大混乱必至
自民側
小沢一郎の離脱で地方の議員(後援会)ごと持ってゆかれ組織が弱体化、単独での過半数維持が難しくなった。野党になったとたんに離党者が相次ぎ、なりふりかまわぬ連立をするようになった。