◆:13時30分~15時頃!尾花和歌山市長突然来訪!(市長代理は!ビッグ愛陸奥宗光外務省主催へ)
:新市長に直接⇒私の和歌山市長選★立候補時点の公約実現★再度申し入れ!(選挙期間中!華月殿でも最終★居残り直接申し入れ済!)
:尾花市長言い訳答弁:「避難ビル」活用!(:税負担増!) ⇔(民間施設利用★否定!)①器物損壊罪②不法侵入③不退去罪=結局東大卒市長閣下!=税金使い=公務員延長線人生)トホホ!
:ああ!①旅田卓宗市長創案「丸正百貨店址和歌山★市民大学構想!②続く小田章和歌山市長★候補「“★伏虎中学跡地へ和歌山大学構想”」 ⇔自民・公明党不支持・反対!?
:イマサラ・今更!「薬学部創設」⇔薬害!副作用減!【免疫力向上時代へ】医療費削減ジェネリック時代到来!?
:⇔新薬で開発費回収⇒超高額設定「イタチゴッコ」時代の先読める賢者不在!?
:法学部皆無!=優秀頭脳人財県外流出!無策!【youtube・ネット法学部創設希求!】
:余談:市管理「遊休地駐車場化」申入れ済み!例:北新橋西詰真田掘川橋「車2台×南北」ポール設置【駐車不可工事43万円浪費】
:以前利用★隣接商店閉鎖!シャッター街増加!ポール工事43万円税金支出!商売不活化★ヤクビョウガミ・疫病神!?失政尾花市長!?
;2014年8月10日私の和歌山市長選挙★立候補公約①GPS・位置発信装置をストーカー痴漢足首に装着!被害者宅付近に不存在確認女性被害者安眠! ②津波襲来予測8m以上建物へ緊急避難市民受け入れ条例創設!提唱!
:陸奥宗光公と山田猪三郎氏とどちらを選択するか思案の末!ロマン感じる飛行船選択!だが現在「気球屋さん!」残念!トホホ!
猪三郎ヒ・曾孫 豊間 清社長 株式会社 気球製作所 http://www.weatherballoon.co.jp/
:直接★会場で個人的に質疑応答①2・26クーデター時点★アドバルーンは御社製!?
:同じクーデター事件★処罰無し!無条件降伏!敗ける戦争開戦詔書サイン!
;「終戦」天皇陛下大御心!【日本の一番長い日】8月14日~15日「終戦決意」レコード★玉音盤争奪戦クーデター事件!
:東条英機大将★位階「従2位!」金鵄勲章!旭日大綬章!
:極東軍事裁判海外扱い日本国政府受け★入れず!【評★決】扱い!国内死刑【判★決無し!】無処罰扱い!
【チダツ・褫奪令(禁錮3年以上)】【位階令7条・12条】「2等兵降格後!懲戒免職!ケジメ総括希求!」
◆写真と証言で綴る「二・二六事件」その日、東京は30年ぶりの大雪が降っていました。
昭和11年(1936)年2月26日、いわゆる二・二六事件の始まりです。
二・二六事件は、陸軍の青年将校らが「昭和維新の断行」を叫んで決起したクーデターです。歩兵第1・第3連隊、近衛歩兵第3連隊など約1500人の兵士が、首相官邸、内大臣邸、教育総監邸、警視庁、朝日新聞などを襲撃し、三宅坂から永田町一帯を占拠しました。陸軍省と参謀本部一帯の交通も遮断され、国家中枢は反乱軍に押さえられたのです。
二・二六事件反乱軍に占拠された警視庁
彼らが出した「蹶起(けっき)趣意書」によれば、決起した理由は、
《内外重大危急の際、元老、重臣、★財閥、★軍閥、★官僚、★政党等の国体破壊の元凶を芟除(さんじょ)し以って★大義を正し国体を擁護、開顕せんとするにあり》
ということです。
当時、日本社会は大恐慌以来の不況に苦しみ、東北では★凶作による★身売りも横行していました。青年将校らは、こうした国家の★危機を見て見ぬふりする★特権階級を排し、天皇★親政の新体制を作ることを目的としていました。
こうして、反乱軍を刺激しないような「気持ちはわかるが★後は上司に任せよ」という主旨の告示が書かれ、午後3時過ぎに「陸軍大臣告示」として発表されました。
陸軍大臣告示
一、蹶起ノ趣旨ニ就テハ天聽ニ達セラレアリ (決起の主旨は天皇陛下に★伝えられた)
二、諸子ノ行動ハ國體顕現ノ至情ニ基クモノト認ム (兵士の行動は国体を正そうとする気持ちからだと★認める)
三、國體ノ眞姿顕現ノ現況(弊風ヲモ含ム)ニ就テハ恐懼ニ堪ヘス (国体の乱れや★悪習については恐縮している)
四、各軍事参議官モ一致シテ右ノ趣旨ニヨリ邁進スルコトヲ申合セタリ (軍事参事官はみな以上の主旨で★問題解決を図る)
五、之以外ハ一ツニ 大御心ニ俟ツ (これ以外は天皇陛下のご判断をまつ)
【27日】余談ながら、この警視庁★占拠には、後の5代目柳家★小さん師匠がいました。「これは演習じゃないんですか?」と聞いたところ、誰も何も答えなかったというエピソードが残っています。
午後4時、海軍の第1艦隊は東京湾に到着し、すべての砲門を市街に向けました。
昭和★天皇は、終始、すばやい★鎮圧を求めていました。陸軍出身の本庄繁・侍従武官長は「彼らの行動は許されるものではないが、その精神は★国を思うものです」と決起した将校の精神だけでも認めてほしいと天皇に★奏上しますが、天皇は
《朕が股肱(ここう)の老臣を殺戮す、此の如き凶暴の将校等、其精神に於ても何の恕(じょ)すべきものあり》(本庄繁 『本庄日記』)
と一切許さ★ないと断言します。
【28日】28日午前5時。ついに、決起部隊を所属★原隊に★撤退させよという「奉勅★命令」が下達されます。
午後、川島陸相と山下奉文少将が侍従武官室に来て、「反乱部隊将校は★自決させ、下士官兵は★帰営させる。ついては自決の場に★勅使を派遣してもらい、死出の★光栄を与えて欲しい」と提案します。
これを聞いた昭和天皇は★激怒し、
《「自殺するならば★勝手に為すべく、かくの如きものに勅使など以っての★外なり」と仰せられ、また師団長が積極的に出づる能わずとするは、★みずからの責任を解せざるものなりと、未だかつて拝せざる御気色にて、厳責あらせられ、直ちに鎮定すべく厳達せよと厳命をこうむる》(『本庄日記』)
という★怒りようでした。
「大広間の方では、みんなお酒を飲んで、大きな声でいろんな歌を歌っていました。そのうち、『★思いが通らなくて、俺たちはいよいよ★帰らなければならない』と言って、みんながボロボロ涙をこぼしてしまったのはビックリしました」
(『二二六事件画報』より、伊藤葉子さんの証言)
【29日】まもなく、★飛行機から下士官兵あての★ビラがばらまかれました。そこには、
「今からでも遅くないから原隊へ帰れ」
「抵抗する者は全部★逆賊であるから射殺する」
「お前達の父母兄弟は★国賊となるので皆泣いておるぞ」
と書かれていました。
西新橋の飛行館屋上には、「★勅命下る軍旗に手向ふな」と書かれた【★アドバルーン】が掲げられました。
二・二六事件 二・二六事件配られたビラと★アドバルーン
そして、午前8時50分、ラジオで「兵に告ぐ」と題した放送がおこなわれます。
《勅命が発せられたのである。既に天皇陛下の御命令が発せられたのである。お前達は上官の命令を正しいものと信じて、絶対服従をして、誠心誠意活動して来たのであらうが、既に、天皇陛下の★御命令によつて、お前達は皆原隊に復帰せよと仰せられたのである。
此上お前達が飽く迄(あくまで)も抵抗したならば、夫(それ)は★勅命に反抗することとなり、★逆賊とならなければならない。
★正しいことをして居ると信じてゐたのに、それが間違つて居たと知つたならば、徒(いたづ)らに今迄の行懸(いきがか)りや義理上から何時までも★反抗的態度をとつて天皇陛下に★叛(そむ)き奉り、★逆賊としての★汚名を永久に受けるやうな事があつてはならない。
今からでも決して遅くはないから、直ちに抵抗をやめて軍★旗の下に復帰する様にせよ。さうしたら今までの★罪も許されるのである。お前達の父兄は勿論のこと、国民全体も、それを心から祈つて居るのである。速かに現在の位置を棄てて帰つて来い。
戒厳司令官 香椎中将》
これは近来の★名文と言われますが、この原稿を読んだのはNHKの中村茂アナウンサーです。後に、「人も泣かせ、自分も泣いた」と語っています。
こうして、反乱部隊の下士官兵は午後2時までに★原隊に帰り、事態は収束しました。
では、この放送を、当事者の青年将校はどう聞いたのか?
高橋是清を軍刀で刺し殺した中島莞爾少尉が、取り調べでこう答えています。
(★奉勅命令は)★正式に奉達されませんし、他より聞くこともありませんでした。ところが29日朝ラジオで初めて★変なことだと知り、これは下士官兵を解散させる★餌として使ったものと知り非常に嫌悪の念で聞きました。
★正式の命令★とは、部隊内であるから軍隊の命令★一系統に基づき下達されるべきものと信じます。即ち私は小藤(恵)部隊に臨時編入されていたのですから★順序に基づき★奉勅命令の★奉達されるべきでありますのにもかかわらず、何もなく★突如ラジオによって下士官兵に対して「お前達を指揮している上官に達してあるから……」とか放送されたのでは全く★心外に堪えぬことと思います。他の陸相官邸に集まった同志将校は誰も知りませんでした。
勿論★奉勅命令とあれば絶対に服従すべきものと信じます。★正式奉達でなくともラジオ放送の結果下士官兵が★逆賊の汚名を蒙ることは可哀想に思い、涙をのんで下士官兵を帰したのです。しかしこれに対している部隊は誠に★武士の情けを知らぬ態度をとり、非常に憤慨しました。》(『二・二六事件 研究資料Ⅱ』)
結局、この事件で2人が自決、北一輝など★19人が死刑判決を受けました。
反乱部隊は、その後、当初の★予定どおり満州に送られ、下士官兵の多くが★ノモンハンで戦死しました。
◆陸奥宗光外務大臣の功績を教育に活かすシンポジウム
開催日時7月16日(土)午後2時
開催場所和歌山市手平のビッグ愛1階
http://www.wakayamashimpo.co.jp/2016/06/20160624_61349.html
◆航空界の先覚者 山田猪三郎 世界殿堂入り〜7月16日★記念シンポジウム
LINEで送る
HP-山田猪三郎肖像写真_dc
日本初の国産飛行船を開発した和歌山市出身の山田猪三郎(1863~1913)が、世界の航空業界の功労者を讃える国際航空連盟の殿堂に名を連ねた。9月に米国・ニューメキシコ州にある気球博物館で写真や模型を展示。地元和歌山では7月16日(土)に殿堂入りを記念したシンポジウムが開かれる。猪三郎のひ孫で、気球製作所(東京)の豊間清社長は「100年以上経っての殿堂入りに天国で驚いていると思います。地道に努力を続ければ報われる日が必ず来ると教えてくれました」と喜んでいる。
紀州藩士、山田用助の子として和歌山市に生まれた猪三郎。1886年のノルマントン号事件で多くの日本人が溺れ死んだことを知り、25歳で携帯用救命具の開発に乗り出し、ゴム加工技術を気球や飛行船の研究に発展させた。1910年にはプロペラ付きエンジンを搭載した飛行船を東京上空に飛ばした。
160709_yaamada「飛行機が飛ぶより前に空を開拓したのが気球や飛行船です。猪三郎は日本で最初に空を飛んだ人物として航空関係者の間では有名です」と語るのは、国際航空連盟気球委員会の日本代表を務める市吉三郎さん。国産飛行機として戦時中の戦闘機、零戦を例に挙げ、「外国からの技術支援があっての飛行機でした。猪三郎は支援なく独自に飛行船を造り上げた。その想像力と技術力は図り知れず、そういった先覚者は国内だけでなくアジアでも唯一という点が評価されたのでは」とみる。
殿堂は毎年、生存者と故人から1人ずつ選ばれ、これまで、世界で初めて熱気球による有人飛行に成功したフランスのモンゴルフィエ兄弟、日本では熱気球で高度や距離の世界記録を樹立した神田道夫さん、熱気球の大会など航空スポーツの発展に尽力した角田正さんが選ばれている。
輝かしい功績を残した猪三郎だが、地元和歌山では長年忘れ去られた存在だった。猪三郎の死後、親交があった当時の文部大臣、鎌田栄吉が和歌浦の高津子山に石碑を建立。高さ5㍍、飛行船が彫られた石碑だが、顧みられることなく、土台は劣化し、草むらの中にひっそりたたずんでいた。
この石碑に着目したのが郷土史を研究する元高校教師、和歌山市の小林護さん。小林さんは初飛行から100年を迎えた2010年に顕彰会を立ち上げて慰霊祭を開き、寄付金を集めて土台を修繕し、功績をまとめた絵本を作成した。
HP-いさぶろう慰霊_d1
同時期に豊間社長も航空愛好家が集うブイヤント航空懇談会の会誌で、猪三郎の歩みや小林さんらの顕彰活動を紹介。それを読んだ市吉さんが、殿堂入りの候補に推薦した。小林さんは「研究に没頭した猪三郎の姿勢は、子どもたちに夢を追いかける素晴らしさを教えてくれる。殿堂入りは地元の先人を知ってもらう活動の弾みになる」と喜ぶ。
猪三郎が興した気球製作所は現在、気象観測用のゴム気球を主力商品とし、世界各地の気象庁や研究機関で活用されている。豊間社長は「曾祖父の口癖は『技術報国』。私費を投じて造り上げたアグレッシブな精神を引き継ぎ、社会に役立つ物を世の中に届けたい」と身を引き締めている。
シンポジウムは16日午後1時半、和歌山市本町のフォルテワジマで開かれる。顕彰会会員の神保紀代子さんが主宰する勉強グループ「Jプロジェクト」主催。豊間社長や小林さんが話す。200円。小林さん(073・445・0494)。
(ニュース和歌山2016年7月9日号掲載)
:新市長に直接⇒私の和歌山市長選★立候補時点の公約実現★再度申し入れ!(選挙期間中!華月殿でも最終★居残り直接申し入れ済!)
:尾花市長言い訳答弁:「避難ビル」活用!(:税負担増!) ⇔(民間施設利用★否定!)①器物損壊罪②不法侵入③不退去罪=結局東大卒市長閣下!=税金使い=公務員延長線人生)トホホ!
:ああ!①旅田卓宗市長創案「丸正百貨店址和歌山★市民大学構想!②続く小田章和歌山市長★候補「“★伏虎中学跡地へ和歌山大学構想”」 ⇔自民・公明党不支持・反対!?
:イマサラ・今更!「薬学部創設」⇔薬害!副作用減!【免疫力向上時代へ】医療費削減ジェネリック時代到来!?
:⇔新薬で開発費回収⇒超高額設定「イタチゴッコ」時代の先読める賢者不在!?
:法学部皆無!=優秀頭脳人財県外流出!無策!【youtube・ネット法学部創設希求!】
:余談:市管理「遊休地駐車場化」申入れ済み!例:北新橋西詰真田掘川橋「車2台×南北」ポール設置【駐車不可工事43万円浪費】
:以前利用★隣接商店閉鎖!シャッター街増加!ポール工事43万円税金支出!商売不活化★ヤクビョウガミ・疫病神!?失政尾花市長!?
;2014年8月10日私の和歌山市長選挙★立候補公約①GPS・位置発信装置をストーカー痴漢足首に装着!被害者宅付近に不存在確認女性被害者安眠! ②津波襲来予測8m以上建物へ緊急避難市民受け入れ条例創設!提唱!
:陸奥宗光公と山田猪三郎氏とどちらを選択するか思案の末!ロマン感じる飛行船選択!だが現在「気球屋さん!」残念!トホホ!
猪三郎ヒ・曾孫 豊間 清社長 株式会社 気球製作所 http://www.weatherballoon.co.jp/
:直接★会場で個人的に質疑応答①2・26クーデター時点★アドバルーンは御社製!?
:同じクーデター事件★処罰無し!無条件降伏!敗ける戦争開戦詔書サイン!
;「終戦」天皇陛下大御心!【日本の一番長い日】8月14日~15日「終戦決意」レコード★玉音盤争奪戦クーデター事件!
:東条英機大将★位階「従2位!」金鵄勲章!旭日大綬章!
:極東軍事裁判海外扱い日本国政府受け★入れず!【評★決】扱い!国内死刑【判★決無し!】無処罰扱い!
【チダツ・褫奪令(禁錮3年以上)】【位階令7条・12条】「2等兵降格後!懲戒免職!ケジメ総括希求!」
◆写真と証言で綴る「二・二六事件」その日、東京は30年ぶりの大雪が降っていました。
昭和11年(1936)年2月26日、いわゆる二・二六事件の始まりです。
二・二六事件は、陸軍の青年将校らが「昭和維新の断行」を叫んで決起したクーデターです。歩兵第1・第3連隊、近衛歩兵第3連隊など約1500人の兵士が、首相官邸、内大臣邸、教育総監邸、警視庁、朝日新聞などを襲撃し、三宅坂から永田町一帯を占拠しました。陸軍省と参謀本部一帯の交通も遮断され、国家中枢は反乱軍に押さえられたのです。
二・二六事件反乱軍に占拠された警視庁
彼らが出した「蹶起(けっき)趣意書」によれば、決起した理由は、
《内外重大危急の際、元老、重臣、★財閥、★軍閥、★官僚、★政党等の国体破壊の元凶を芟除(さんじょ)し以って★大義を正し国体を擁護、開顕せんとするにあり》
ということです。
当時、日本社会は大恐慌以来の不況に苦しみ、東北では★凶作による★身売りも横行していました。青年将校らは、こうした国家の★危機を見て見ぬふりする★特権階級を排し、天皇★親政の新体制を作ることを目的としていました。
こうして、反乱軍を刺激しないような「気持ちはわかるが★後は上司に任せよ」という主旨の告示が書かれ、午後3時過ぎに「陸軍大臣告示」として発表されました。
陸軍大臣告示
一、蹶起ノ趣旨ニ就テハ天聽ニ達セラレアリ (決起の主旨は天皇陛下に★伝えられた)
二、諸子ノ行動ハ國體顕現ノ至情ニ基クモノト認ム (兵士の行動は国体を正そうとする気持ちからだと★認める)
三、國體ノ眞姿顕現ノ現況(弊風ヲモ含ム)ニ就テハ恐懼ニ堪ヘス (国体の乱れや★悪習については恐縮している)
四、各軍事参議官モ一致シテ右ノ趣旨ニヨリ邁進スルコトヲ申合セタリ (軍事参事官はみな以上の主旨で★問題解決を図る)
五、之以外ハ一ツニ 大御心ニ俟ツ (これ以外は天皇陛下のご判断をまつ)
【27日】余談ながら、この警視庁★占拠には、後の5代目柳家★小さん師匠がいました。「これは演習じゃないんですか?」と聞いたところ、誰も何も答えなかったというエピソードが残っています。
午後4時、海軍の第1艦隊は東京湾に到着し、すべての砲門を市街に向けました。
昭和★天皇は、終始、すばやい★鎮圧を求めていました。陸軍出身の本庄繁・侍従武官長は「彼らの行動は許されるものではないが、その精神は★国を思うものです」と決起した将校の精神だけでも認めてほしいと天皇に★奏上しますが、天皇は
《朕が股肱(ここう)の老臣を殺戮す、此の如き凶暴の将校等、其精神に於ても何の恕(じょ)すべきものあり》(本庄繁 『本庄日記』)
と一切許さ★ないと断言します。
【28日】28日午前5時。ついに、決起部隊を所属★原隊に★撤退させよという「奉勅★命令」が下達されます。
午後、川島陸相と山下奉文少将が侍従武官室に来て、「反乱部隊将校は★自決させ、下士官兵は★帰営させる。ついては自決の場に★勅使を派遣してもらい、死出の★光栄を与えて欲しい」と提案します。
これを聞いた昭和天皇は★激怒し、
《「自殺するならば★勝手に為すべく、かくの如きものに勅使など以っての★外なり」と仰せられ、また師団長が積極的に出づる能わずとするは、★みずからの責任を解せざるものなりと、未だかつて拝せざる御気色にて、厳責あらせられ、直ちに鎮定すべく厳達せよと厳命をこうむる》(『本庄日記』)
という★怒りようでした。
「大広間の方では、みんなお酒を飲んで、大きな声でいろんな歌を歌っていました。そのうち、『★思いが通らなくて、俺たちはいよいよ★帰らなければならない』と言って、みんながボロボロ涙をこぼしてしまったのはビックリしました」
(『二二六事件画報』より、伊藤葉子さんの証言)
【29日】まもなく、★飛行機から下士官兵あての★ビラがばらまかれました。そこには、
「今からでも遅くないから原隊へ帰れ」
「抵抗する者は全部★逆賊であるから射殺する」
「お前達の父母兄弟は★国賊となるので皆泣いておるぞ」
と書かれていました。
西新橋の飛行館屋上には、「★勅命下る軍旗に手向ふな」と書かれた【★アドバルーン】が掲げられました。
二・二六事件 二・二六事件配られたビラと★アドバルーン
そして、午前8時50分、ラジオで「兵に告ぐ」と題した放送がおこなわれます。
《勅命が発せられたのである。既に天皇陛下の御命令が発せられたのである。お前達は上官の命令を正しいものと信じて、絶対服従をして、誠心誠意活動して来たのであらうが、既に、天皇陛下の★御命令によつて、お前達は皆原隊に復帰せよと仰せられたのである。
此上お前達が飽く迄(あくまで)も抵抗したならば、夫(それ)は★勅命に反抗することとなり、★逆賊とならなければならない。
★正しいことをして居ると信じてゐたのに、それが間違つて居たと知つたならば、徒(いたづ)らに今迄の行懸(いきがか)りや義理上から何時までも★反抗的態度をとつて天皇陛下に★叛(そむ)き奉り、★逆賊としての★汚名を永久に受けるやうな事があつてはならない。
今からでも決して遅くはないから、直ちに抵抗をやめて軍★旗の下に復帰する様にせよ。さうしたら今までの★罪も許されるのである。お前達の父兄は勿論のこと、国民全体も、それを心から祈つて居るのである。速かに現在の位置を棄てて帰つて来い。
戒厳司令官 香椎中将》
これは近来の★名文と言われますが、この原稿を読んだのはNHKの中村茂アナウンサーです。後に、「人も泣かせ、自分も泣いた」と語っています。
こうして、反乱部隊の下士官兵は午後2時までに★原隊に帰り、事態は収束しました。
では、この放送を、当事者の青年将校はどう聞いたのか?
高橋是清を軍刀で刺し殺した中島莞爾少尉が、取り調べでこう答えています。
(★奉勅命令は)★正式に奉達されませんし、他より聞くこともありませんでした。ところが29日朝ラジオで初めて★変なことだと知り、これは下士官兵を解散させる★餌として使ったものと知り非常に嫌悪の念で聞きました。
★正式の命令★とは、部隊内であるから軍隊の命令★一系統に基づき下達されるべきものと信じます。即ち私は小藤(恵)部隊に臨時編入されていたのですから★順序に基づき★奉勅命令の★奉達されるべきでありますのにもかかわらず、何もなく★突如ラジオによって下士官兵に対して「お前達を指揮している上官に達してあるから……」とか放送されたのでは全く★心外に堪えぬことと思います。他の陸相官邸に集まった同志将校は誰も知りませんでした。
勿論★奉勅命令とあれば絶対に服従すべきものと信じます。★正式奉達でなくともラジオ放送の結果下士官兵が★逆賊の汚名を蒙ることは可哀想に思い、涙をのんで下士官兵を帰したのです。しかしこれに対している部隊は誠に★武士の情けを知らぬ態度をとり、非常に憤慨しました。》(『二・二六事件 研究資料Ⅱ』)
結局、この事件で2人が自決、北一輝など★19人が死刑判決を受けました。
反乱部隊は、その後、当初の★予定どおり満州に送られ、下士官兵の多くが★ノモンハンで戦死しました。
◆陸奥宗光外務大臣の功績を教育に活かすシンポジウム
開催日時7月16日(土)午後2時
開催場所和歌山市手平のビッグ愛1階
http://www.wakayamashimpo.co.jp/2016/06/20160624_61349.html
◆航空界の先覚者 山田猪三郎 世界殿堂入り〜7月16日★記念シンポジウム
LINEで送る
HP-山田猪三郎肖像写真_dc
日本初の国産飛行船を開発した和歌山市出身の山田猪三郎(1863~1913)が、世界の航空業界の功労者を讃える国際航空連盟の殿堂に名を連ねた。9月に米国・ニューメキシコ州にある気球博物館で写真や模型を展示。地元和歌山では7月16日(土)に殿堂入りを記念したシンポジウムが開かれる。猪三郎のひ孫で、気球製作所(東京)の豊間清社長は「100年以上経っての殿堂入りに天国で驚いていると思います。地道に努力を続ければ報われる日が必ず来ると教えてくれました」と喜んでいる。
紀州藩士、山田用助の子として和歌山市に生まれた猪三郎。1886年のノルマントン号事件で多くの日本人が溺れ死んだことを知り、25歳で携帯用救命具の開発に乗り出し、ゴム加工技術を気球や飛行船の研究に発展させた。1910年にはプロペラ付きエンジンを搭載した飛行船を東京上空に飛ばした。
160709_yaamada「飛行機が飛ぶより前に空を開拓したのが気球や飛行船です。猪三郎は日本で最初に空を飛んだ人物として航空関係者の間では有名です」と語るのは、国際航空連盟気球委員会の日本代表を務める市吉三郎さん。国産飛行機として戦時中の戦闘機、零戦を例に挙げ、「外国からの技術支援があっての飛行機でした。猪三郎は支援なく独自に飛行船を造り上げた。その想像力と技術力は図り知れず、そういった先覚者は国内だけでなくアジアでも唯一という点が評価されたのでは」とみる。
殿堂は毎年、生存者と故人から1人ずつ選ばれ、これまで、世界で初めて熱気球による有人飛行に成功したフランスのモンゴルフィエ兄弟、日本では熱気球で高度や距離の世界記録を樹立した神田道夫さん、熱気球の大会など航空スポーツの発展に尽力した角田正さんが選ばれている。
輝かしい功績を残した猪三郎だが、地元和歌山では長年忘れ去られた存在だった。猪三郎の死後、親交があった当時の文部大臣、鎌田栄吉が和歌浦の高津子山に石碑を建立。高さ5㍍、飛行船が彫られた石碑だが、顧みられることなく、土台は劣化し、草むらの中にひっそりたたずんでいた。
この石碑に着目したのが郷土史を研究する元高校教師、和歌山市の小林護さん。小林さんは初飛行から100年を迎えた2010年に顕彰会を立ち上げて慰霊祭を開き、寄付金を集めて土台を修繕し、功績をまとめた絵本を作成した。
HP-いさぶろう慰霊_d1
同時期に豊間社長も航空愛好家が集うブイヤント航空懇談会の会誌で、猪三郎の歩みや小林さんらの顕彰活動を紹介。それを読んだ市吉さんが、殿堂入りの候補に推薦した。小林さんは「研究に没頭した猪三郎の姿勢は、子どもたちに夢を追いかける素晴らしさを教えてくれる。殿堂入りは地元の先人を知ってもらう活動の弾みになる」と喜ぶ。
猪三郎が興した気球製作所は現在、気象観測用のゴム気球を主力商品とし、世界各地の気象庁や研究機関で活用されている。豊間社長は「曾祖父の口癖は『技術報国』。私費を投じて造り上げたアグレッシブな精神を引き継ぎ、社会に役立つ物を世の中に届けたい」と身を引き締めている。
シンポジウムは16日午後1時半、和歌山市本町のフォルテワジマで開かれる。顕彰会会員の神保紀代子さんが主宰する勉強グループ「Jプロジェクト」主催。豊間社長や小林さんが話す。200円。小林さん(073・445・0494)。
(ニュース和歌山2016年7月9日号掲載)