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アイヒマン裁判「私は命令に従っただけ上官に逆らったって状況は変わらない仕方なかったそういう時代でした

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◆「悪の凡庸」あるいは「悪の陳腐さ」の重さ | 京都AALAのブログ
kyotoaala.blogspot.com/2014/01/blog-post_29.html
2014/01/28 -JAN29

「悪の凡庸」あるいは「悪の陳腐さ」の重さ  2014/1/28    須田  稔

 今日1月27日付き『毎日』の「風知草」で山田孝夫氏が「思考停止から抜け出せ」と評論。

 「「原発ゼロ」は東京都知事選の争点にふさわしいか」と書きだし、最近観た映画「ハンナ・アーレント」が「重要な視点を提供していると思った」と。

 ドイツ系ユダヤ人女性哲学者アーレントの「人間のなす悪についての考察が、原発と東京の有権者の責任という問題につながると考えたからだという。

 ユダヤ人虐殺に深く関わった★ナチス親衛隊中佐アドルフ・アイヒマンは、戦後の支配的な歴史認識では「冷酷、残忍、狂気の極悪人」である。

 アイヒマンは★裁判で証言する。「私は命令に従っただけ。上官に逆らったって状況は変わらない。仕方なかったんです。そういう時代でした」と。

 アーレントはこう考えたのだ。「世界最大の悪、600万人以上とされる二〇世紀のユダヤ人虐殺は平凡な人間が行った悪。動機も、信念も邪心も悪魔的な意図もない、人間であることを拒絶した者が犯した悪なのです」と。しかし、殺意も憎悪もなかったにせよ、絞首に値する被告。なぜなら、「政治においては服従と支持は同じものだから」。

 人間の尊厳が、基本的人権が、生命が、理不尽な暴力で侵され、あるいは圧殺されようとしているとき、沈黙や傍観、見て見ぬふりは、その暴逆を容認していることと同じ。暴力で人間尊厳や人権を殺傷せよと命令されたとき、その命令に服従することは、自己の非人間化にほかならない。

★ 命令だから服従するほかないと考える残虐行為の凡庸な実行者は、自分の人間性を否定するゆえに、罪責感の十字架を背負うことはない。糾弾されるべきは命令を発した人間であり、自分は服従せざるをえなかったのだから無実の被害者だ。この構造は軍隊だけでなく、官僚機構でも企業統治でも存在している。

【一部割愛】

この状況を憂慮する名誉教授が、最近、映画「ハンナ・アーレント」を取り上げて、「★組織が関与する悪事の背後には都合の悪い情報を隠蔽し、職務への忠誠を求めて疑惑を封じ,思考の自由を目の前の損得勘定に限定して良心を麻痺させる、「悪の凡庸さ」の影が潜んで居るように思われるのです。・・・本学園の上級幹部や中間管理職は、このままの状態が続けばいいとでも考えて居るのでしょうか。凡庸を逃れて勇気ある行為を行うために、映画「ハンナ・アーレント」を観て,自らを省みる契機を創って下さい。それで当面は十分なのです」と書いた。

【一部割愛・省略】

 自分は人間であるからは、人間としての尊厳を賦与されている。人間らしく生きるとはこの尊厳を貫くこと。権力や権威を持つ他の個人や組織の操り人形ではない、走狗ではない。主権者として成熟せねば。

 ホロコーストにおけるアイヒマンだけが問題なのではない。フクシマ初め原子力村あるいは核マフィア、特定秘密保護法成立に荷担あるいは★公約を破棄して辺野古に米軍新基地建設を容認した国会議員・★県知事の問題。山田氏推論の原発と東京都民の責任の問題でもあるのだ。明らかに人道に反する行為が権力や権威によって行われた時、せめて異議ありと申し立てる良心と勇気を持ちたいと思うのだ。
投稿時刻 29th January 2014、投稿者 京都AALA さん

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