:「みんなで靖国神社に参拝する★国会議員の会」⇒★等しく・カタヨ・偏らず公平平等担保して⇒全国の神社御参拝されるのですか!? ⇔公正・中正・不偏・不党=【公務員服務の宣誓】
:敗戦亡国職責!開戦詔書サイン輔弼責任!■禁固3年以上⇒はく奪(褫奪)⇒返上可!従二位・金鵄勲章東条英機大将「死刑判決=海外★評決」安倍晋三総理大臣★爺様=岸信介商工大臣⇒人事考課降任希求!
:高所大所からの見識⇒保護国朝鮮国⇒日本国併合⇒併合国民の婦女子の★生活水準⇒★【売春】⇒統治国日本国★責任!(体壊し⇒子孫繁栄不可!⇒健康管理資料廃棄!?真実証拠⇒焼却灰★粉砕命令⇒★反論不可能!?)
:誕生日=位置=視認角度違=「世の中は違う考えで成り立ってる」
【◆引用◆】:http://d.hatena.ne.jp/mzponta/20150816
みんなどこか変わってるから大丈夫
<前の日 | 次の日> 2015-08-16
そしてまた、靖国へ 日本の話, 歴史の話
ぼく、今まで別のブログを含めて、「靖国神社」のことは何度か書いてるので
今回は「靖国神社の性格」に関してはスルーして、
靖国神社に集う人に焦点を当てて書いてみたいと思います
まずは、国会議員の集団参拝を簡潔に報じる人民日報の記事から…
◆日本の国会議員60人余りが靖国神社を集団参拝(人民網日本語版:2015年08月15日)f:id:mzponta:20150815214636j:image:w640
現地時間の本日11時頃(北京時間10時頃)、日本の国会議員から成る「みんなで靖国神社に参拝する★国会議員の会」の会員★60人余りが靖国神社を集団参拝した。この団体は毎年この日に靖国神社を参拝している。
この写真を最初に見たとき、ぼく、神戸に本拠をおく日本最大の暴力団山口組の「定例会」を連想しましたわ
(そやかて、なんか靖国参拝の国会議員の雰囲気がヤクザ屋さんとめっちゃ似てるので…)
ちなみに、憲法の定める政教分離原則は、
■「国(=政府・地方公共団体のみならず公的地位にある者を含む)と宗教との★中立性を定める原則」でありますので
公的な「国会議員」という地位を★明示して「みんなで参拝」することは★政教分離原則違反です
なので「みんなで靖国神社に参拝する★国会議員の会」…という名称がそもそもアウトで
「みんなで靖国神社に参拝する会」と改称してもらった上で、
★議員バッジを外して参拝してもらわんとあきません
(言うとくけど、議員バッジは「私物」とちゃうで…)
では次に、♪あ~の人も、このひ~とも♪…という写真付き記事を…
◆<速報>小泉元首相の息子と古屋氏が靖国神社を参拝(人民網日本語版:2015年08月15日)
f:id:mzponta:20150815214802j:image:w640
「8・15」日本敗戦日は、本来人々が歴史を記憶するための日であるはずが、近年はこの日になると、14人のA級戦犯が祀られる靖国神社が政客の「ショー」の場と化す。現地時間の8時18分(北京時間7時18分)、日本の小泉純一郎元首相の息子で、内閣府大臣政務官の小泉進次郎氏と前国家公安委員長の古屋圭司氏が靖国神社を参拝した。
日経新聞中国語版「日経中文網」の先日の報道によると、日本の安倍晋三首相は今日、靖国神社への参拝を自粛し、★自費での玉串料奉納に改めるという。麻生太郎財務相もこの日靖国神社には参拝しないと表明している。
小泉さんちの進次郎くん、いつもの「怒った表情」でご登場です…
(あの人、なんでいっつもあんなに怒った顔してんのかね…?)
えっ? あれは怒った顔やない、真剣な顔やって?
う~ん、ぼくにはどない見ても、怒ってるようにしか見えへんけどなぁ…
(そやかて、話し方かて「怒ってる」みたいやで…)
次の方は、「俺は男だ」のあの人…
f:id:mzponta:20150816224549j:image:w640
この人、靖国に参拝しに来たというのに、いったい誰に向かって★笑みを浮かべてはるんでしょうか…
(なんか、靖国参拝って「楽しいこと」なんですかね…?)
いや、いや、次の方だって笑みは負けてはいない…
f:id:mzponta:20150816224550j:image:w640
ホントに、「めっちゃ楽しそう」に参拝に来られてますねぇ…
(何がそんなに嬉しいんでしょうか…)
ちなみに、この人は安倍内閣で
「規制改革」と「少子化対策」と「男女共同参画」を担当する「何でも屋さん」…ではなくて
「特命担当大臣」(★別名、大臣ポストを増やすためにつくった大臣)の有村さんです
これらの写真を提供してくれた人民日報は、8.15の靖国神社で繰り広げられる毎年の風景を
”政客の「ショー」”(≒政治ショー)と表現してはりますが
進次郎くんお決まりの「怒った顔」…や
「俺は男だ」のあの人の笑み…や
何でも屋さん…じゃなかった、有村大臣の満面の笑み…を拝見しておりますと
やっぱりこれは「見る人を楽しませるための(=見ている人を意識した)ショー」なんじゃないか…と思います
では最後に、海外メディア…と言うても「歴史問題について日本に厳しくない」はずのイギリスBBCの報道から
"Notorious Yasukuni Shrine" & "Emperor Cult" (BBC)
BBCは「日本の降伏70周年記念式典」のニュースの中で
「悪名高い靖国神社」の様子と未だに生きている「天皇カルト」についてリポート。
(↑ひとさまのtweetより)
f:id:mzponta:20150816203500j:image
f:id:mzponta:20150816203501j:image
f:id:mzponta:20150816203502j:image
f:id:mzponta:20150816203503j:image
(おっと、なんでも屋さんの有村大臣、ここにも東条…やなかった、登場ですな…)
ちなみに、3枚目の写真は「街宣右翼」のユニフォームをお召しになった方々で
4枚目の写真は「日本軍コスプレ」に興じる方々ですね…
(★ドイツで、ナチス時代の軍服着てたらアウトやったと思うけどな…)
ということで、これが、★毎年国会議員がたくさん参拝し、
シンゾーくんが参拝したくて堪らない靖国神社という場所ですわ
※BBCの言う"Emperor Cult"( 天皇カルト)という言葉については、こういう意見もあります…
「天皇カルト」という表現は正直当たってないかと思います。
何故なら、彼らは本心では天皇なんか道具程度にしか考えておらず、全く軽んじており、
「帝国主義カルト」と呼ぶ方がずっと正確でしょう。(←ひとさまのtweetより)
明治以来、この国の為政者にとって天皇とは「道具」である…と、ぼくも考えてます
でも、市民がそれを「内心のもの」にされた長い歴史があるので、
そこから抜け出すのは容易ではない…と言いたいトコですが、
実は市民のなかには「天皇に何も感じない」という人が3割もいるので
国家による洗脳から醒めた人もけっこういる…のが事実です
(少なくとも戦前のように、天皇に「怖れ」を感じてる人はほとんどいてないと思うし…)
…と言いつつ、実はあの怖~い時代であった敗戦前でも、
天皇のことなんかなんとも思ってない人は少なくはなかったようで
特に敗戦濃厚となって生活が苦しくなると、
天皇に対して遠慮のない「落書き」があちこちで見られるようになり、
当時の思想警察であった特高の取り締まりの対象のほとんどが「不敬」であったようです
Permalink | コメント(0)
今日のtweet…戦争時の記憶を一般化するためには
世界の話, 歴史の話
日本では、毎年8月を迎えると、「戦争を考える」「戦争を振り返る」…なんていう企画が
メディアの恒例行事になってます
ぼく、このコトに関しては、悪いことではないと思ってます
(そやかて、まったく戦争のことを振り返らないよりは、いいに決まってるからです)
でも…
「夏が来れば思い出す…」よりももっと望ましいのは、そういう機会がいつもある…というコトでありまして
それはメディアによって提供されなくても…という話でもあるというのが、これです↓
ベルリンの街を歩いていると、ふと見かける★「躓きの石」。その場所に住んでいたユダヤ人の名前と、強制連行された日時、殺害された日時が刻まれている。ホロコーストと向き合うことが日常の中にある。
f:id:mzponta:20150815211754j:image
日本では逆に、最近、戦争の記憶となるべき「戦争遺跡」を消す…あるいは
その案内文から「強制連行」などの記述を消す動きが活発になってます
ぼくはそういう話を聞くたびに、日本は「戦争を忘れたい」のか、「忘れたくない」のか
いったいどっちなんだ…と一瞬思ったりするんですが、
「加害の記憶は忘れたい(消したい)」けど、
「被害(≒受難)の記憶は忘れたくない(≒語り継ぎたい)」と思ってる…ということなんでしょう
(少なくとも日本政府は、確実にそう考えてるようです)
Permalink | コメント(2)
戦争を考える(戦争のときにしたことを振り返る)…その5
連載モノ, 世界の話, 日本の話, 歴史の話
先の戦争の振り返り方については、日本のメディアで「報道カルテル」でも結んでるのか、
「戦争のときに遭ったこと、されたこと」で染め上げる…ということが常態化して久しいので
ぼく一人だけでも(…と言いつつ、他の人もやってるけど…)
「戦争のときにしたこと」だけを取り上げてみよう…という趣旨で始めた連載シリーズの5回目、
では今回も、中国で拘束された日本人戦犯の供述を通して、
日本(軍)がどんなことをしてきたか…ということを振り返ってみましょう
日本の戦犯4人目・佐々○○○ 中国人を針金で数珠繋ぎにして殺害(人民網日本語版:2014年07月08日)
佐々○○○は1932年から中国侵略戦争に参加。供述によると計5回、5年の長きにわたり中国侵略戦争に参加し、その範囲は北は東北部、南は揚子江に至る。犯した罪行は「滔天」と形容できる。佐々眞の法廷での供述によると、彼と部下はかつて捕えた中国平民を針金で数珠繋ぎにして殺害した。捕えた中国人を針金で縛って川に投げ込み溺死させた。生きている中国人を毒ガス室に入れて実験した。中国人女性数十人を強姦した。湖北省襄樊の戦いで重慶軍3500人を殺害した。
佐々眞の1954年8月~1956年5月の供述書によると、佐々は1893年福岡県生まれ。1932年9月から中国侵略戦争に参加し、関東軍第十師団歩兵第六十三連隊第三大隊長(少佐)、1945年7月より関東軍第三方面軍第三十九師団長。1945年8月23日にソ連軍の俘虜となった。
重要な罪行として、以下のものが挙げられる
1932年10月、「佳木斯駐屯間密偵容疑者トシテ中國人民約三十名ヲ逮捕シマシタ」。「内抗日戰士十五名、人民六名ヲ拷問ノ上殺害シマシタ」。「佳木斯東北方約十粁ノ部落ニ於テ」「戰場ノ部落ノ人民ニ與ヘタ損害、私ノ命令ニ依ル殺害五名」。
1940年8月、浙江省莫干山で「私ノ部下大隊ハ戰闘間毒瓦斯(緑筒)ヲ使用シテ重慶軍戰士ニ大ナル損害ヲ與ヘマシタ」。10月、浙江省諸曁で「重慶軍戰士約六百名ヲ殺害シマシタ。此中ニハ戰闘中重傷者及俘虜戰士殺害推定約四十名ヲ含ミマス。此罪悪ハ私ガ平素之等俘虜ヲ殺害スベキコトヲ教育シタ結果デアリマス。又各大隊ハ戰闘間毒瓦斯(緑筒)ヲ使用イ重慶軍戰士ニ大ナル損害ヲ與ヘマシタ」。
1941年1月、浙江省杭州でその指揮する第一大隊は「密偵容疑者逮捕約二十名 拷問殺害約七名」、第二大隊は「密偵容疑者逮捕約二十名、拷問ノ上殺害約九名」第三大隊は「密偵容疑者逮捕約二十五名、拷問殺害約八名」。
1943年12月、オランダ領アンボン島で「「インドネシア」婦人十数名ヲ強制的ニ使用シテ慰安所一ヲ設ケ日本兵士ノ用ニ供シマシタ。是ハ「インドネシア」婦人ニ對スル重大ナ侮辱行為デアリマシタ」。
1944年6月、浙江省金華方面より衢州方面に向かう作戦で「人民約五十名ヲ殺傷シ」た。
1945年1月、湖北省当陽で「師團が各部隊将校ヲ當陽ニ集メテ瓦斯教育ヲ行ッタ時俘虜二名ヲ瓦斯室ニ入レテ瓦斯効力試験ニ使ヒ又師團軍醫部ガ俘虜四名ヲ瓦斯室ニ入レテ瓦斯効力試験ヲ行ヒテ虐待シ共々遂ニ殺害シマシタ」。
1945年3月、湖北省襄樊作戦期間に、重慶軍戦士約3500人を殺害し、中国人民約200人を殺害し、中国女性約50人を強姦し、民家約200軒を焼却するなどした。
日本軍は「中国の俘虜」(…と言いつつ、兵隊でない市民まで捕まえることが多々あったようですが)は
「拷問して」、あるいは、「新兵の教育のため」、あるいは、「毒ガスその他武器兵器の実験のため」に
「殺す」のに、なぜ、欧米の兵士にはそのような残忍なことをしなかったのか…は
やっぱり「生きて虜囚の辱めを受けず」という東条英機がつくった「戦陣訓」(=兵隊としての心構え)だけでは
説明ができませんね
(→これって、「アジアの解放」をスローガンにして戦争をおっぱじめた日本が
思いっきり「(中国人をはじめとする)アジア人を蔑視してた」からなんでしょうね)
また、「慰安所」は一般的に民間業者に運営を任せていた…という説明がなされますが
それは最前線以外の比較的軍事的緊張感のない地域…の話で
最前線に近いところでは、軍自らが「慰安婦にする女性を強制的に集めてきて」慰安所を開設していた★ようです
こういう供述を読んでいると、「強制連行などなかった」…なんていう日本国内の一部の声が
なんと「現実から遠いもの」であるのか…が、わかると思います
(それは、歴史改ざん人だけの脳内ファンタジー…)
※もちろん、従軍慰安婦(=日本軍性奴隷)の本質は、「集め方」にあるのではありません Permalink | コメント(0)
【◆引用◆】以上!
:敗戦亡国職責!開戦詔書サイン輔弼責任!■禁固3年以上⇒はく奪(褫奪)⇒返上可!従二位・金鵄勲章東条英機大将「死刑判決=海外★評決」安倍晋三総理大臣★爺様=岸信介商工大臣⇒人事考課降任希求!
:高所大所からの見識⇒保護国朝鮮国⇒日本国併合⇒併合国民の婦女子の★生活水準⇒★【売春】⇒統治国日本国★責任!(体壊し⇒子孫繁栄不可!⇒健康管理資料廃棄!?真実証拠⇒焼却灰★粉砕命令⇒★反論不可能!?)
:誕生日=位置=視認角度違=「世の中は違う考えで成り立ってる」
【◆引用◆】:http://d.hatena.ne.jp/mzponta/20150816
みんなどこか変わってるから大丈夫
<前の日 | 次の日> 2015-08-16
そしてまた、靖国へ 日本の話, 歴史の話
ぼく、今まで別のブログを含めて、「靖国神社」のことは何度か書いてるので
今回は「靖国神社の性格」に関してはスルーして、
靖国神社に集う人に焦点を当てて書いてみたいと思います
まずは、国会議員の集団参拝を簡潔に報じる人民日報の記事から…
◆日本の国会議員60人余りが靖国神社を集団参拝(人民網日本語版:2015年08月15日)f:id:mzponta:20150815214636j:image:w640
現地時間の本日11時頃(北京時間10時頃)、日本の国会議員から成る「みんなで靖国神社に参拝する★国会議員の会」の会員★60人余りが靖国神社を集団参拝した。この団体は毎年この日に靖国神社を参拝している。
この写真を最初に見たとき、ぼく、神戸に本拠をおく日本最大の暴力団山口組の「定例会」を連想しましたわ
(そやかて、なんか靖国参拝の国会議員の雰囲気がヤクザ屋さんとめっちゃ似てるので…)
ちなみに、憲法の定める政教分離原則は、
■「国(=政府・地方公共団体のみならず公的地位にある者を含む)と宗教との★中立性を定める原則」でありますので
公的な「国会議員」という地位を★明示して「みんなで参拝」することは★政教分離原則違反です
なので「みんなで靖国神社に参拝する★国会議員の会」…という名称がそもそもアウトで
「みんなで靖国神社に参拝する会」と改称してもらった上で、
★議員バッジを外して参拝してもらわんとあきません
(言うとくけど、議員バッジは「私物」とちゃうで…)
では次に、♪あ~の人も、このひ~とも♪…という写真付き記事を…
◆<速報>小泉元首相の息子と古屋氏が靖国神社を参拝(人民網日本語版:2015年08月15日)
f:id:mzponta:20150815214802j:image:w640
「8・15」日本敗戦日は、本来人々が歴史を記憶するための日であるはずが、近年はこの日になると、14人のA級戦犯が祀られる靖国神社が政客の「ショー」の場と化す。現地時間の8時18分(北京時間7時18分)、日本の小泉純一郎元首相の息子で、内閣府大臣政務官の小泉進次郎氏と前国家公安委員長の古屋圭司氏が靖国神社を参拝した。
日経新聞中国語版「日経中文網」の先日の報道によると、日本の安倍晋三首相は今日、靖国神社への参拝を自粛し、★自費での玉串料奉納に改めるという。麻生太郎財務相もこの日靖国神社には参拝しないと表明している。
小泉さんちの進次郎くん、いつもの「怒った表情」でご登場です…
(あの人、なんでいっつもあんなに怒った顔してんのかね…?)
えっ? あれは怒った顔やない、真剣な顔やって?
う~ん、ぼくにはどない見ても、怒ってるようにしか見えへんけどなぁ…
(そやかて、話し方かて「怒ってる」みたいやで…)
次の方は、「俺は男だ」のあの人…
f:id:mzponta:20150816224549j:image:w640
この人、靖国に参拝しに来たというのに、いったい誰に向かって★笑みを浮かべてはるんでしょうか…
(なんか、靖国参拝って「楽しいこと」なんですかね…?)
いや、いや、次の方だって笑みは負けてはいない…
f:id:mzponta:20150816224550j:image:w640
ホントに、「めっちゃ楽しそう」に参拝に来られてますねぇ…
(何がそんなに嬉しいんでしょうか…)
ちなみに、この人は安倍内閣で
「規制改革」と「少子化対策」と「男女共同参画」を担当する「何でも屋さん」…ではなくて
「特命担当大臣」(★別名、大臣ポストを増やすためにつくった大臣)の有村さんです
これらの写真を提供してくれた人民日報は、8.15の靖国神社で繰り広げられる毎年の風景を
”政客の「ショー」”(≒政治ショー)と表現してはりますが
進次郎くんお決まりの「怒った顔」…や
「俺は男だ」のあの人の笑み…や
何でも屋さん…じゃなかった、有村大臣の満面の笑み…を拝見しておりますと
やっぱりこれは「見る人を楽しませるための(=見ている人を意識した)ショー」なんじゃないか…と思います
では最後に、海外メディア…と言うても「歴史問題について日本に厳しくない」はずのイギリスBBCの報道から
"Notorious Yasukuni Shrine" & "Emperor Cult" (BBC)
BBCは「日本の降伏70周年記念式典」のニュースの中で
「悪名高い靖国神社」の様子と未だに生きている「天皇カルト」についてリポート。
(↑ひとさまのtweetより)
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(おっと、なんでも屋さんの有村大臣、ここにも東条…やなかった、登場ですな…)
ちなみに、3枚目の写真は「街宣右翼」のユニフォームをお召しになった方々で
4枚目の写真は「日本軍コスプレ」に興じる方々ですね…
(★ドイツで、ナチス時代の軍服着てたらアウトやったと思うけどな…)
ということで、これが、★毎年国会議員がたくさん参拝し、
シンゾーくんが参拝したくて堪らない靖国神社という場所ですわ
※BBCの言う"Emperor Cult"( 天皇カルト)という言葉については、こういう意見もあります…
「天皇カルト」という表現は正直当たってないかと思います。
何故なら、彼らは本心では天皇なんか道具程度にしか考えておらず、全く軽んじており、
「帝国主義カルト」と呼ぶ方がずっと正確でしょう。(←ひとさまのtweetより)
明治以来、この国の為政者にとって天皇とは「道具」である…と、ぼくも考えてます
でも、市民がそれを「内心のもの」にされた長い歴史があるので、
そこから抜け出すのは容易ではない…と言いたいトコですが、
実は市民のなかには「天皇に何も感じない」という人が3割もいるので
国家による洗脳から醒めた人もけっこういる…のが事実です
(少なくとも戦前のように、天皇に「怖れ」を感じてる人はほとんどいてないと思うし…)
…と言いつつ、実はあの怖~い時代であった敗戦前でも、
天皇のことなんかなんとも思ってない人は少なくはなかったようで
特に敗戦濃厚となって生活が苦しくなると、
天皇に対して遠慮のない「落書き」があちこちで見られるようになり、
当時の思想警察であった特高の取り締まりの対象のほとんどが「不敬」であったようです
Permalink | コメント(0)
今日のtweet…戦争時の記憶を一般化するためには
世界の話, 歴史の話
日本では、毎年8月を迎えると、「戦争を考える」「戦争を振り返る」…なんていう企画が
メディアの恒例行事になってます
ぼく、このコトに関しては、悪いことではないと思ってます
(そやかて、まったく戦争のことを振り返らないよりは、いいに決まってるからです)
でも…
「夏が来れば思い出す…」よりももっと望ましいのは、そういう機会がいつもある…というコトでありまして
それはメディアによって提供されなくても…という話でもあるというのが、これです↓
ベルリンの街を歩いていると、ふと見かける★「躓きの石」。その場所に住んでいたユダヤ人の名前と、強制連行された日時、殺害された日時が刻まれている。ホロコーストと向き合うことが日常の中にある。
f:id:mzponta:20150815211754j:image
日本では逆に、最近、戦争の記憶となるべき「戦争遺跡」を消す…あるいは
その案内文から「強制連行」などの記述を消す動きが活発になってます
ぼくはそういう話を聞くたびに、日本は「戦争を忘れたい」のか、「忘れたくない」のか
いったいどっちなんだ…と一瞬思ったりするんですが、
「加害の記憶は忘れたい(消したい)」けど、
「被害(≒受難)の記憶は忘れたくない(≒語り継ぎたい)」と思ってる…ということなんでしょう
(少なくとも日本政府は、確実にそう考えてるようです)
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戦争を考える(戦争のときにしたことを振り返る)…その5
連載モノ, 世界の話, 日本の話, 歴史の話
先の戦争の振り返り方については、日本のメディアで「報道カルテル」でも結んでるのか、
「戦争のときに遭ったこと、されたこと」で染め上げる…ということが常態化して久しいので
ぼく一人だけでも(…と言いつつ、他の人もやってるけど…)
「戦争のときにしたこと」だけを取り上げてみよう…という趣旨で始めた連載シリーズの5回目、
では今回も、中国で拘束された日本人戦犯の供述を通して、
日本(軍)がどんなことをしてきたか…ということを振り返ってみましょう
日本の戦犯4人目・佐々○○○ 中国人を針金で数珠繋ぎにして殺害(人民網日本語版:2014年07月08日)
佐々○○○は1932年から中国侵略戦争に参加。供述によると計5回、5年の長きにわたり中国侵略戦争に参加し、その範囲は北は東北部、南は揚子江に至る。犯した罪行は「滔天」と形容できる。佐々眞の法廷での供述によると、彼と部下はかつて捕えた中国平民を針金で数珠繋ぎにして殺害した。捕えた中国人を針金で縛って川に投げ込み溺死させた。生きている中国人を毒ガス室に入れて実験した。中国人女性数十人を強姦した。湖北省襄樊の戦いで重慶軍3500人を殺害した。
佐々眞の1954年8月~1956年5月の供述書によると、佐々は1893年福岡県生まれ。1932年9月から中国侵略戦争に参加し、関東軍第十師団歩兵第六十三連隊第三大隊長(少佐)、1945年7月より関東軍第三方面軍第三十九師団長。1945年8月23日にソ連軍の俘虜となった。
重要な罪行として、以下のものが挙げられる
1932年10月、「佳木斯駐屯間密偵容疑者トシテ中國人民約三十名ヲ逮捕シマシタ」。「内抗日戰士十五名、人民六名ヲ拷問ノ上殺害シマシタ」。「佳木斯東北方約十粁ノ部落ニ於テ」「戰場ノ部落ノ人民ニ與ヘタ損害、私ノ命令ニ依ル殺害五名」。
1940年8月、浙江省莫干山で「私ノ部下大隊ハ戰闘間毒瓦斯(緑筒)ヲ使用シテ重慶軍戰士ニ大ナル損害ヲ與ヘマシタ」。10月、浙江省諸曁で「重慶軍戰士約六百名ヲ殺害シマシタ。此中ニハ戰闘中重傷者及俘虜戰士殺害推定約四十名ヲ含ミマス。此罪悪ハ私ガ平素之等俘虜ヲ殺害スベキコトヲ教育シタ結果デアリマス。又各大隊ハ戰闘間毒瓦斯(緑筒)ヲ使用イ重慶軍戰士ニ大ナル損害ヲ與ヘマシタ」。
1941年1月、浙江省杭州でその指揮する第一大隊は「密偵容疑者逮捕約二十名 拷問殺害約七名」、第二大隊は「密偵容疑者逮捕約二十名、拷問ノ上殺害約九名」第三大隊は「密偵容疑者逮捕約二十五名、拷問殺害約八名」。
1943年12月、オランダ領アンボン島で「「インドネシア」婦人十数名ヲ強制的ニ使用シテ慰安所一ヲ設ケ日本兵士ノ用ニ供シマシタ。是ハ「インドネシア」婦人ニ對スル重大ナ侮辱行為デアリマシタ」。
1944年6月、浙江省金華方面より衢州方面に向かう作戦で「人民約五十名ヲ殺傷シ」た。
1945年1月、湖北省当陽で「師團が各部隊将校ヲ當陽ニ集メテ瓦斯教育ヲ行ッタ時俘虜二名ヲ瓦斯室ニ入レテ瓦斯効力試験ニ使ヒ又師團軍醫部ガ俘虜四名ヲ瓦斯室ニ入レテ瓦斯効力試験ヲ行ヒテ虐待シ共々遂ニ殺害シマシタ」。
1945年3月、湖北省襄樊作戦期間に、重慶軍戦士約3500人を殺害し、中国人民約200人を殺害し、中国女性約50人を強姦し、民家約200軒を焼却するなどした。
日本軍は「中国の俘虜」(…と言いつつ、兵隊でない市民まで捕まえることが多々あったようですが)は
「拷問して」、あるいは、「新兵の教育のため」、あるいは、「毒ガスその他武器兵器の実験のため」に
「殺す」のに、なぜ、欧米の兵士にはそのような残忍なことをしなかったのか…は
やっぱり「生きて虜囚の辱めを受けず」という東条英機がつくった「戦陣訓」(=兵隊としての心構え)だけでは
説明ができませんね
(→これって、「アジアの解放」をスローガンにして戦争をおっぱじめた日本が
思いっきり「(中国人をはじめとする)アジア人を蔑視してた」からなんでしょうね)
また、「慰安所」は一般的に民間業者に運営を任せていた…という説明がなされますが
それは最前線以外の比較的軍事的緊張感のない地域…の話で
最前線に近いところでは、軍自らが「慰安婦にする女性を強制的に集めてきて」慰安所を開設していた★ようです
こういう供述を読んでいると、「強制連行などなかった」…なんていう日本国内の一部の声が
なんと「現実から遠いもの」であるのか…が、わかると思います
(それは、歴史改ざん人だけの脳内ファンタジー…)
※もちろん、従軍慰安婦(=日本軍性奴隷)の本質は、「集め方」にあるのではありません Permalink | コメント(0)
【◆引用◆】以上!