:トップが⇒本性ム・剥き出し⇒カルト化!⇒組織全体⇒異常行動エビデンス・証拠!(私利私欲・保身⇒亡国)
:安倍晋三自民・公明総理大臣⇒忖度⇒IRカジノ法案⇒公明党多数酸性可決成立 ⇔憲法30条納税義務完納後入場規制無⇒具備せず!
:暴走⇒加速度⇒将来亡国予見 ⇔私利私欲保身=「無理が通れば道理がへこむ」
◆オウム真理教死刑囚 2人刑執行 07月26日 08時58分
オウム真理教の一連の事件で死刑が確定している林泰男死刑囚ら2人に死刑が執行されたことが関係者への取材でわかりました。
教団の元代表の麻原彰晃、本名・松本智津夫元死刑囚ら7人には今月6日に刑が執行されていて、残る6人の刑の執行が焦点になっていました。
オウム真理教は平成元年の坂本弁護士一家殺害事件や、平成6年の松本サリン事件、平成7年の地下鉄サリン事件など数々の事件を引き起こし、合わせて29人が死亡、およそ6500人が被害に遭いました。
平成7年3月から始まった強制捜査では192人が起訴され、首謀者とされた松本元死刑囚など13人の死刑が確定しました。
一部の元信者が逃亡を続けたため刑事裁判は長期化しましたが、ことし1月に地下鉄サリン事件などに関わった高橋克也受刑者の上告が退けられたことで終結し、死刑囚が事件について証言を求められる機会がなくなりました。
その後、一部の死刑囚は東京拘置所から全国5か所の拘置所や拘置支所へ移送され、今月6日、元代表の麻原彰晃、本名・松本智津夫元死刑囚ら7人に刑が執行されました。
ほかの6人は東京拘置所、名古屋拘置所、仙台拘置支所に収容されていましたが、関係者によりますと、26日、林泰男死刑囚(60)ら2人に死刑が執行されたということです。
林泰男死刑囚(60)は昭和63年に出家した古参の幹部で、教団の「科学技術省」次官として施設の電気工事などを行っていました。
平成6年の松本サリン事件では、サリンをまく車の製造に関わりました。
13人が死亡、およそ6300人が被害を受けた平成7年の地下鉄サリン事件では、日比谷線にサリンの入った袋をほかの実行犯より1つ多く持ち込み、その車両では8人が死亡するという最も大きな被害が出ました。
林死刑囚は事件の後も1年半以上、逃亡を続けましたが、平成8年12月に沖縄の石垣島で逮捕されました。
裁判では事件に関わったことを認め、平成20年に死刑が確定しました。
平成27年には、逃亡を続けていた元信者の高橋克也受刑者の裁判で地下鉄サリン事件の当時の状況を証言しました。
林死刑囚は、事件の2日前に教団の幹部から実行役を打診された時の心境について「断ったらやばいと感じた。自分の家族に危険が及ぶかもしれないし、麻原彰晃、本名、松本智津夫元死刑囚に『教団を出たらポアする』と言われていた」と説明しました。
そして「事件で被害を受けられたみなさまにおわび申し上げます」と謝罪のことばを述べました
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◆オウム真理教死刑囚 2人刑執行 07月26日 08時58分
オウム真理教の一連の事件で死刑が確定している林泰男死刑囚ら2人に死刑が執行されたことが関係者への取材でわかりました。
教団の元代表の麻原彰晃、本名・松本智津夫元死刑囚ら7人には今月6日に刑が執行されていて、残る6人の刑の執行が焦点になっていました。
オウム真理教は平成元年の坂本弁護士一家殺害事件や、平成6年の松本サリン事件、平成7年の地下鉄サリン事件など数々の事件を引き起こし、合わせて29人が死亡、およそ6500人が被害に遭いました。
平成7年3月から始まった強制捜査では192人が起訴され、首謀者とされた松本元死刑囚など13人の死刑が確定しました。
一部の元信者が逃亡を続けたため刑事裁判は長期化しましたが、ことし1月に地下鉄サリン事件などに関わった高橋克也受刑者の上告が退けられたことで終結し、死刑囚が事件について証言を求められる機会がなくなりました。
その後、一部の死刑囚は東京拘置所から全国5か所の拘置所や拘置支所へ移送され、今月6日、元代表の麻原彰晃、本名・松本智津夫元死刑囚ら7人に刑が執行されました。
ほかの6人は東京拘置所、名古屋拘置所、仙台拘置支所に収容されていましたが、関係者によりますと、26日、林泰男死刑囚(60)ら2人に死刑が執行されたということです。
林泰男死刑囚(60)は昭和63年に出家した古参の幹部で、教団の「科学技術省」次官として施設の電気工事などを行っていました。
平成6年の松本サリン事件では、サリンをまく車の製造に関わりました。
13人が死亡、およそ6300人が被害を受けた平成7年の地下鉄サリン事件では、日比谷線にサリンの入った袋をほかの実行犯より1つ多く持ち込み、その車両では8人が死亡するという最も大きな被害が出ました。
林死刑囚は事件の後も1年半以上、逃亡を続けましたが、平成8年12月に沖縄の石垣島で逮捕されました。
裁判では事件に関わったことを認め、平成20年に死刑が確定しました。
平成27年には、逃亡を続けていた元信者の高橋克也受刑者の裁判で地下鉄サリン事件の当時の状況を証言しました。
林死刑囚は、事件の2日前に教団の幹部から実行役を打診された時の心境について「断ったらやばいと感じた。自分の家族に危険が及ぶかもしれないし、麻原彰晃、本名、松本智津夫元死刑囚に『教団を出たらポアする』と言われていた」と説明しました。
そして「事件で被害を受けられたみなさまにおわび申し上げます」と謝罪のことばを述べました