Quantcast
Channel: 違憲下自衛隊 ⇔合法⇒菊印皇軍虎威借る狐「上官命令≒天皇陛下命令」前法2項刑法裁判⇒軍法裁判自民9条3項=後法優先削除同
Viewing all articles
Browse latest Browse all 4710

まともとな精神 熊本典道元裁判官!姉と共に拘置所後に=再審開始に「うそだ」―感謝の言葉も・袴田さん

$
0
0
:エンザイオトシメエンザイオトシメ

:まともな者が被害者となる日本国の現状!

:死刑判決を書いた苦痛を感じた裁判官!御気の毒!

:意志強固・頭脳明晰 ⇔ずる賢い≒狡猾・強情どうしようも無い輩!


熊本 典道(くまもと のりみち、1938年10月30日[1] - )は、日本の元裁判官、元弁護士。

2007年に突如袴田事件の支援者に合議の秘密を破り「事件は無罪であるとの確証を得ていたが裁判長の反対で死刑判決を書かざるを得なかった」という手紙を書きその後改めて記者会見を開き同様の趣旨の発言をした。


もともと逮捕状や勾留請求の却下が多い人権派の裁判官として知られ、1968年の袴田事件1審でも1人だけ無罪を主張したが裁判官3人の多数決で覆され、被告人は死刑判決を受ける[2]。この判決を悔やんで半年後に弁護士へ転身し、東京の法律事務所のパートナーとなったが、酒の上でのトラブルが絶えず、「俺は無実の人を殺した。逮捕しろ」と夜中に警察署で暴れたこともあった[2]。

大酒が原因で体を壊して離婚し、1991年に九州へ移住[3]。肝硬変で入院したが、病室でも酒を飲んでいる有様だった[2][4]。1996年[5]に弁護士登録を抹消。このころの生活については、自ら「弁護士らの知人から借金して食いつないでいた。ホームレスのようなもの」と語っている[2]。

2008年には前立腺癌と診断され、2010年には福岡市で生活保護を受けながら細々と暮らしていることが報じられた[2]。


<袴田事件>「やっていません」に涙出る…1審死刑の裁判官

毎日新聞 3月27日(木)10時20分配信



<袴田事件>「やっていません」に涙出る…1審死刑の裁判官


熊本典道さん=2013年11月、荒木涼子撮影


 静岡市(旧静岡県清水市)で1966年、みそ製造会社の専務一家4人を殺害したとして強盗殺人罪などで死刑が確定した元プロボクサー、袴田巌死刑囚(78)側の第2次再審請求。静岡地裁(村山浩昭裁判長)は27日、再審を開始し、死刑執行を停止する決定を出した。

【再審決定、釈放】東京拘置所の職員らに付き添われ、外に出る袴田巌さん

 1審・静岡地裁で死刑の判決文を書いた元裁判官、熊本典道(のりみち)さん(76)は「公判で袴田さんが『やっていません』と言った姿が忘れられない。思い出すと涙が出る」と、今でも悔やみ続けている。

 真っすぐに裁判長を見据えて受け答えする袴田死刑囚の様子や、任意性に乏しい供述調書などを通じ、「有罪認定は難しい」と思っていた。だが、結審後に判決文を検討する中で、結果的に先輩判事に押し切られた、と振り返る。

 半年後、耐えられず退官し、弁護士に転じた。合議の秘密を破り、第1次再審請求中の2007年、「無罪の心証があった」と告白したが、請求棄却が確定した。先月末には古巣の静岡地裁を訪ね、再審開始を求める上申書を提出。「自分は他の裁判官を説得できなかった。償いをしたい」と訴えた。【荒木涼子】
.

【関連記事】
元裁判官、熊本さんは判決の半年後に退官 頬を大粒の涙が伝う
<執念でたぐり寄せた新証拠>再審導いた「衣類」のDNA型鑑定 白半袖シャツの写真も
【検察に衝撃・動揺】「証拠捏造の疑い」とまで言及
【弟との生活信じ】81歳姉、月1回の訪問欠かさず 誕生日には生花差し入れ
【袴田事件を知る】記事をまとめたページ 最終更新:3月27日(木)19時26分


姉と共に拘置所後に=再審開始に「うそだ」―感謝の言葉も・袴田さん 時事通信 3月27日(木)21時4分配信

再審開始が認められ、48年ぶりに釈放された袴田巌さん(78)は27日午後5時20分ごろ、東京拘置所の玄関から姉秀子さん(81)と共に姿を現した。待ち構えていた報道陣に対しては一言も発することなく、弁護団が用意した車に秀子さんと一緒に乗り込み、拘置所を後にした。
 袴田さんは黄色い半袖シャツにベージュのズボン。かつての面影はあるものの、髪は白髪交じりで、約半世紀の年月を感じさせた。
 弁護団によると、秀子さんと2人の弁護士は午後4時ごろ、袴田さんと2010年8月以来の面会を果たした。アクリル板越しに再審開始の決定文を見せると、袴田さんは最初に「うそだ」と話し、「袴田事件は終わった。もう帰ってくれ」といら立ちを見せた。
 約1時間後、刑務官に付き添われ、手に紙袋を持った袴田さんが拘置所の応接室に現れた。秀子さんは目を潤ませながら「巌」と肩をたたき、「やっと出てきたね」と声を掛けると、袴田さんは「うんうん」とうなずいたという。
 半袖シャツで寒くないかと問われると、「寒くない寒くない」と答えた。ただ、長期間の拘置による影響か、十分な意思疎通は難しいといい、表情に変化もなく、独り言が多かった。
 拘置所を出た後はほとんど話さず、車の中から外を眺めていた。途中で車に酔い、都内の駐車場で休憩を取った。外に出た袴田さんに、弁護人が「釈放されたことが分かるでしょう」と問い掛けると、「ありがとう」と話したという。 
.

【関連記事】
〔写真特集〕袴田巌さん
袴田巌さんを釈放=逮捕から48年ぶり−検察の拘置停止申し立て退ける・静岡地裁
【図解】袴田事件の確定判決と検察・弁護側の主張

Viewing all articles
Browse latest Browse all 4710

Trending Articles