チェコ出身、元幕内の隆の山が引退
:隆の山関⇒なぜ肥えないのかぜひ帰国する前に
:解明して後輩の参考としていただきたい!
:私はシマチョウ食べてから少し肥え!
:ヨーグルト食べる様に成ってから⇒牛乳腹下ら無い様に成った!
:小学校6年生⇒中井先生と私だけ⇒脱脂粉乳下痢⇒お茶!
:分解酵素無⇒ついでにアルコール分解酵素も少なく!
:心斎橋大丸時代帰りにビール小瓶一本で手足首まで錦鯉のように
:マダラ・斑に赤!お蔭様で経済的!
:議員⇒酒宴=酒飲み⇒だから⇒議員になりたいとは思わなかった!
:私のお店では昔から肥えて困ってる方が多数!この私も骨川筋衣文と言われたが!
:警察と検察と裁判所と弁護士と医師らの特権権威信頼側の違憲法行為に
:ストレス⇒110cまで成ってしまった信じられません!
:手足は細いのにお腹が顕著に突出!
:昔はサイズ無かった時代⇒神様仏様小早川様と感謝された
:大きいサイズ扱って本当に良かったと実感!
チェコ出身の元幕内で、軽量な体格ながら多彩な技を繰り出して人気を集めた西幕下6枚目の隆の山(31=田子ノ浦)が12日目の24日、日本相撲協会に引退届を提出した。
「自分の相撲が取れなくなってきた。体力も尽きた。相撲を取りたいけど、取れる位置と取りたい位置が違う。関取として相撲を取りたいので、できなくなった以上は仕方ないです」と決断の理由を話した。
チェコ初の力士として、01年九州場所で初土俵を踏んだ。脂肪が付きにくい体質のため、入門時の体重からほとんど増えず、もっとも重くて110キロ。現在は95キロを切っていた。「今までどれだけ食べても体重が増えなかった。食べなくてもやせなかった。増えないし減らないのは、お相撲さんとしては苦しい」と胸の内を明かした。
それでも、好きな言葉という「努力」と「我慢」のたまもので、入門から10年たった11年5月の技量審査場所で勝ち越すと、翌名古屋場所で悲願の新十両に昇進。さらに翌秋場所で新入幕を果たした。
思い出の相撲には2点挙げた。「1つは、十両昇進を決めた天鎧鵬(当時南)との相撲。あれだけでかい人をうっちゃれたことは信じられない。もう1つは(12年2月の大相撲)トーナメントで白鵬関に投げられたことです。本場所で届かない位置にいる人。横綱と相撲を取ることができたのはうれしかった」と振り返った。
日本人の妻と娘がいるが今後は一緒に母国チェコに戻って暮らす予定だという。断髪式などは未定。引退会見では涙をこらえながら「自分で決意して相撲界に入って、夢を持って土俵に上がった。関取になる夢をつかんでうれしかったし、13年間、自分の夢のために頑張ったので、楽しかったです」と相撲に感謝していた。
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日本相撲協会は27日、東京・両国国技館で鳴戸親方(59=元横綱隆の里)と幕内隆の山(28)から、週刊新潮で報じられた記事内容について事情を聴いた。この日の聴取で結論は出さず、継続して調査することになった。
記事の内容は、鳴戸親方が角材を用いて弟子の指導をし、自らの治療のために用いているインスリン注射を、隆の山を太らせるために打たせているというもの。放駒理事長(元大関魁傑)と出羽海事業部長(元関脇鷲羽山)が、鳴戸親方と隆の山を約30分ずつ、事実関係を確認した。
鳴戸親方は無言で帰宅した一方、放駒理事長は「これからもう少し、こちらで調査する」とした。当事者が記事内容について「肯定したのか、否定したのか」という問いには「否定も…、そこまで言えないですよ。事実と違ったことを答えていた可能性もある」と慎重に答えた。
協会側は、かねて否定していた八百長問題が、のちに事実と認めざるを得なくなった過去を反省し、今回は早急な結論を避けた。報道を事前に知り、前日26日に文科省を訪問した際は、中川大臣に報告。放駒理事長によると「きちっとやりなさい。こういうことが重なると、国民から信用されなくなる」と指摘されたという。協会は調査を継続し、九州場所中日の11月20日に予定される理事会で、この問題について検討される。
◆週刊新潮の報道 元力士が、鳴戸部屋の事情を証言。弟子がつくったちゃんこ鍋の味を、鳴戸親方が必ず味見し、気に入らないと怒り出す。「精神注入棒」と書かれた角材で頭をたたくこともあり、序二段輝の里は頭が割れた。幕内若の里は頭をスコップでたたかれ、5針縫った。指導が厳しく、辞めた力士は5年間で20人以上。糖尿病の鳴戸親方がインスリンを入手し、隆の山を自室に呼んで、注射を打たせていた。インスリン注射は血糖値を下げ、食欲を増進させる効果があるものの、医師法などに抵触する可能性がある。 [2011年10月28日8時14分 紙面から]