1 相撲で、両者がほとんど同体に倒れたとき、つま先が上を向いて足の裏が返り、立ち直れないと判断された状態。⇔生き体。
いき‐たい【生き体】相撲で、両者がほとんど同体に倒れたとき、爪先が下を向いて土俵内の地についている状態。⇔死に体。
ja.wikipedia.org/wiki/【物言い(ものいい)】とは、大相撲において、行司が下した判定(軍配)に対し、勝負審判や控え力士が異議を唱えること。またそれから転じて、異議を申し立てること全般を「物言いをつける」ともいう。
ビデオ判定[編集]大相撲にビデオ判定が導入されるきっかけは、1969年3月10日の3月場所2日目、横綱・大鵬と前頭筆頭・戸田の一番だった。土俵際に追いつめられ回り込む大鵬を追ううちに戸田の右足が俵を踏み越え、ほぼ時を同じくして大鵬の体が土俵を割った。22代式守伊之助の軍配は大鵬にあがったが、審判より物言いがあり協議をした結果、大鵬が先に土俵を割ったという結論(審判長の春日野(元横綱栃錦)以外の4人が戸田の勝ちを支持)になり、行司差し違えで戸田の勝ちとなった。しかし、この時の中継映像では戸田の足が先に出たように見えた。大鵬がここまで45連勝していたこともあり、この一番の判定は「世紀の大誤審」と騒がれた。
これを受けて、日本相撲協会は目視による判定を補う方法について検討し、次の5月場所よりビデオ判定を導入することになった。
問題点として、実際にビデオ室で再生映像を確認する者と、協議を行う審判員が別であるため、どちらが先に土がついたかだけが重視され、相撲の★流れや生き体、死に体の区別などがないがしろにされがちなことがあげられる。また、明らかな誤審であっても物言いがつかなければ、ビデオが参考にされることはなく、ビデオ室係が行司の軍配に疑問を持っても、物言いをつける権限はない。
東関脇碧山 (5勝10敗)
押し出し 東前頭六枚目隠岐の海(9勝6敗)
白鵬33回目の優勝を全勝で飾る 1月25日 19時46分 K10049544111_1501251954_1501252016.mp4大相撲初場所は千秋楽、横綱・白鵬が同じ横綱の鶴竜に勝って歴代最多33回目の優勝を全勝で飾りました。
中入り後の主な勝敗です。
▽妙義龍に栃煌山は妙義龍がはたき込み。
栃煌山も負け越しました。
▽高安に常幸龍は高安が寄り切り。
▽豊ノ島に逸ノ城は豊ノ島がすくい投げで勝ちました。
逸ノ城は6勝9敗で今場所を終えました。
▽★碧山に隠岐の海は★隠岐の海が★押し出し。
▽大関・豪栄道に大関・琴奨菊は豪栄道が寄り倒し。
7勝7敗で千秋楽を迎えた角番の豪栄道は、立ち合い低く当たって左を差すと、そのまま一気に前に出て琴奨菊を寄り倒しました。
大関陥落を免れた豪栄道は、「12日目に7敗となってから自分の相撲を取ろうと覚悟を決めた。そこからはすごく集中して行けた。もうこういう経験はしたくない」とほっとした表情で振り返りました。
そして、3月に、地元・大阪で開かれる春場所に向けて「どんどん攻めて、いい相撲を取って喜んでもらいたい」と話していました。
琴奨菊は6敗目です。
▽横綱・日馬富士に大関・稀勢の里は日馬富士が押し倒しで勝ちました。
日馬富士、稀勢の里ともに11勝4敗で今場所を終えました。
▽横綱・白鵬に横綱・鶴竜は白鵬が寄り切りで勝ちました。
白鵬は立ち合いすぐに右四つとなって左の上手を取りました。
このあと、足技を出して攻めるきっかけを探ったあと、鶴竜の下手まわしを切って頭を付けるとまわしを引き付けて寄り切りました。
白鵬は歴代最多となる33回目の優勝を全勝で飾りました。
白鵬の全勝優勝は10場所ぶり11回目です。
白鵬は、「大記録に花を添えられた。本当に疲れたが、生前、アドバイスをもらった大鵬さんに真の恩返しができたと思う。横綱に昇進して8年間、本場所、巡業共に休みなく出場したことが、結果につながった。支えてくれた妻にも感謝したい」と話しました。
今後について「優勝回数の記録を超えて目標がなくなり、引退することも考えたが、新しい目標を立てて頑張っていきたい」と話していました。
鶴竜は10勝5敗でした。
大相撲初場所で横綱・白鵬が歴代最多の33回目の優勝を全勝で飾ったことについて、日本相撲協会の北の湖理事長は「全勝と1敗では重みが違う。33回目の優勝を全勝で達成できてよかったのではないか。今後も優勝争いは白鵬しだいだと思うが、ほかの2人の横綱が奮起をしないといけない」と話しました。
また、東京で行われた本場所では、18年ぶりに15日間すべてで満員御礼となったことについて、「1年の出だしでいいスタートが切れたと思う。これを維持していくためには力士がいい相撲を見せないといけないし、上位陣の充実も欠かせない。ファンのためにも力士たちをしった激励していきたい」と話していました。