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昭和20(1945)年6月6日夜、沖縄の海軍陸戦隊司令官大田実少将は、
海軍次官あてに次のように打電しました。
「格言・故事成語」講座(4) 漢詩由来の名言・名句
(その6) 鞭声粛々夜河を渡る
題不識庵撃機山図 頼 山陽
鞭声粛粛夜過河
暁見千兵擁大牙
遺恨十年磨一剣
流星光底逸長蛇
不識庵(ふしきあん)機山(きざん)を撃(う)つの図(ず)に題(だい)す 頼(らい) 山陽(さんよう)
鞭声(べんせい)粛粛(しゅくしゅく)夜(よる)河(かわ)を過(わた)る
暁(あかつき)に見(み)る千兵(せんぺい)の大牙(たいが)を擁(よう)するを
遺恨(いこん)なり十年(じゅうねん)一剣(いっけん)を磨(みが)き
流星(りゅうせい)光底(こうてい)に長蛇(ちょうだ)を逸(いっ)す
[通釈]
(上杉謙信の軍は)ひっそりと鞭音もたてないようにして、
夜のうちに千曲川を渡って(川中島の敵陣に)攻め寄せた。
(武田方は)明けがた(霧の晴れ間に)(上杉方の)大軍が大将の旗を中心に守りながら、迫ってくるのを見つけた。
(この戦いで謙信は信玄を討ちとることができなかったが、)(その心中を察すると、)まことに同情にたえない。
この十年の間一ふりの剣を研ぎ磨いて、(その機会を待ったのであるが、)うちおろす刀一閃の下に、
ついに強敵信玄をとり逃がしたのは無念至極なことであった。
(『吟剣詩舞道漢詩集』による)
◆ 菅官房長官「粛々と」に沖縄知事「上から目線」 読売新聞 4月5日(日)12時33分配信
菅官房長官「粛々と」に沖縄知事「上から目線」
会談を前に握手を交わす菅官房長官(左)と沖縄県の翁長知事(5日午前9時31分、那覇市で)=浦上太介撮影
沖縄県宜野湾市の米軍普天間飛行場移設問題をめぐり、菅官房長官は5日、那覇市内のホテルで、沖縄県の翁長(おなが)雄志(たけし)知事と、昨年12月の知事就任後では初となる会談を行った。
菅氏は普天間飛行場の名護市辺野古への移設に理解を求めたが、翁長氏は反対する考えを改めて表明した。約1時間に及んだ会談で、両者の主張は平行線をたどったが、今後も対話を続ける方針では一致した。
政府と沖縄県の対立が深まる中、政府としては「知事との会談にも応じない」との批判が強まることを防ぐのが今回の会談の狙いだったとも言える。会談の冒頭から30分間は報道陣に公開され、残りは菅、翁長両氏だけで行われた。
菅氏は会談の公開部分で、「日米同盟の抑止力の維持、普天間飛行場の危険除去を考えた時に、辺野古移設は唯一の解決策と考えている。政府としては、住民の生活や環境に配慮し、工事を粛々と進めている」と述べ、2013年末に同県の仲井真弘多(ひろかず)前知事が出した辺野古の埋め立て承認に基づき、移設を進める政府方針に変更がないことを伝えた。
また、13年末に安倍首相が前知事に表明した21年度まで3000億円台とする沖縄振興予算の確保について「約束は守っていきたい」と述べた。また、基地負担の軽減に努力する考えにも時間を割くなど、沖縄への配慮を随所に示した。
これに対し、翁長氏は、「上から目線の『粛々』という言葉を使えば使うほど、県民の心は離れ、怒りは増幅していくのではないか」と反発。その上で、「辺野古の新基地は絶対に建設することができないという確信を持っている」と述べ、移設計画の中止を求めた。翁長氏は安倍首相と早期に会談したい考えを伝えたが、菅氏は明言を避けた。ただ、菅氏は会談後、記者団に対し、「沖縄の考え方を聞く中で、進めていきたい」とも述べた。
最終更新:4月5日(日)22時56分読売新聞