◆◎木谷明 木谷 明(きたに あきら、1937年12月15日 - )は、
神奈川県平塚市出身の法学者、弁護士。元裁判官。元法政大学法科大学院教授。元東京高等裁判所判事、最高裁判所調査官。経歴[編集]
1997年に発生した東電OL殺人事件において、一審で無罪となったネパール国籍の被告人に対し、検察側は東京高裁に対し、逃亡の恐れがあるとして勾留請求をしたが、被告人の弁護団は「無罪判決を受けた被告の勾留は不当なもの」と反対。
それらを受けた木谷明裁判長は、★検察側の主張を退け、職権発動をしない旨を決定する。
この決定の後、2000年5月に東京高裁を★依願退官。
その後、検察側は東京高裁に複数回に渡る度重なる再請求を繰り返した結果、最終的には3(4?)回目の★勾留請求にて認められたものの、木谷裁判長による1回目の高裁決定は、★
刑事法学界からも高い評価を受ける。
また、著書の『刑事裁判の心―事実認定適正化の方策』は、★周防正行が映画作りの参考本にしたという[2]。
棋士の木谷實の二男として生まれる。妹に毎日放送元アナウンサーでフリーアナウンサーの吉田智子がいる。
東京大学法学部在学中に司法試験合格し、1961年3月卒業。同年4月、司法研修所入所。司法研修終了後、1963年に判事補任官(東京地方裁判所)。その後浦和地方裁判所判事部総括や最高裁判所調査官などを歴任した後、東京高裁部総括判事となる。
2000年5月に退官、同年6月、公証人(霞ヶ関公証役場)となる。2004年4月より、法政大学法科大学院教授(2012年、定年退職)。2008年瑞宝重光章受章。2012年より弁護士。
刑事裁判の有罪判決が★99.9%以上を占めると言われる日本の裁判所にあって
★珍しく人権派の裁判官として知られ、現役中に★約30件の無罪判決を確定させた実績を持つ。
彼は、日本の裁判官のほとんどが検察の★言いなりに動いて有罪判決ばかりを出し、大量の冤罪判決を生み出し続けている現状について、
「私はかなり多くの無罪判決を出しましたが、★1件だけしか控訴されませんでした。でも、無罪判決には★たいてい検察官が控訴します。
控訴されると無罪判決が破棄されることが★多いのも事実です。
控訴さ★れない無罪判決を書くには★技術が要ります。い
ろいろな事件で苦労してはじめて一人前の裁判官になると思うのですが、
★無罪判決を書く★苦労をしていない裁判官が多いのは残念なことです。
その結果、検察に物申すような裁判官が私の現役時代と比べて減ってしまいました。皆さん天下の大秀才なのでしょうが、腹の据わった裁判官はどこにいってしまったのでしょうね。この国の刑事司法の先行きが本当に心配です」と苦言を呈している[1]。
【周防 義和】 『それでもボクはやってない』は、2007年(平成19年)1月20日に公開された日本映画。
概要[編集]
周防正行監督による、『Shall we ダンス?』以来10年ぶりの新作映画。前作の封切り後、時間をかけて続けた地道な調査活動を踏まえ、自ら「どうしても作りたかった」という、日本の刑事裁判、人質司法に疑問を投げかける社会派の作品である。
監督は、2002年(平成14年)に東京高裁で逆転無罪判決が出された事件をきっかけに痴漢冤罪(ちかんえんざい)に関心を持ち始めた。自ら取材した数多くの冤罪事件の実在エピソードを作品中にちりばめるなど、痴漢冤罪事件を通じて、日本の被疑者取調べと刑事裁判の、人権軽視の実態を映像化している。
2007年(平成19年)8月には、第80回アカデミー賞・外国語映画部門に日本代表作品としてエントリーされた。また、同年5月には、スイス・ジュネーブで開催された国連の拷問(ごうもん)禁止委員会に合わせて現地で上映され、委員の過半数が映画を鑑賞したという。
また、主人公のモデルとなった一人に2005年(平成17年)、JR横浜線の電車内で女性に痴漢をしたとして逮捕・起訴された男性がいる。男性は無罪を主張したが、2007年(平成19年)の一審で有罪判決が出され、懲役1年6ヵ月の実刑を言い渡された。
『それでもボクはやってない』★公開から2週間というこの時期に、痴漢の被疑としては★異例の実刑判決が出されたことで、周防監督は男性の妻に「私の映画が裁判官の★心証に影響したかもしれない。」と★詫びた。
男性は控訴、上告したが、2008年(平成20年)12月に最高裁判所は上告を棄却し、有罪が★確定した。この事件に関しては、テレビ朝日 『報道発 ドキュメンタリ宣言スペシャル』(痴漢事件で涙の収監「それでもパパはやってない」 = 2009年(平成21年)10月25日付放送)にて放送された。
ストーリー[編集]
フリーターの金子徹平は、朝の通勤通学ラッシュに大混雑する電車で就職面接に向かう際、女子中学生に痴漢と間違えられてしまう。無実の罪を被って示談で済ませるという妥協案を拒み、あくまで濡れ衣を晴らそうとした徹平は、逮捕され、更には起訴されることとなる。そして、徹平と彼の支援者達の長い戦いが始まる。
神奈川県平塚市出身の法学者、弁護士。元裁判官。元法政大学法科大学院教授。元東京高等裁判所判事、最高裁判所調査官。経歴[編集]
1997年に発生した東電OL殺人事件において、一審で無罪となったネパール国籍の被告人に対し、検察側は東京高裁に対し、逃亡の恐れがあるとして勾留請求をしたが、被告人の弁護団は「無罪判決を受けた被告の勾留は不当なもの」と反対。
それらを受けた木谷明裁判長は、★検察側の主張を退け、職権発動をしない旨を決定する。
この決定の後、2000年5月に東京高裁を★依願退官。
その後、検察側は東京高裁に複数回に渡る度重なる再請求を繰り返した結果、最終的には3(4?)回目の★勾留請求にて認められたものの、木谷裁判長による1回目の高裁決定は、★
刑事法学界からも高い評価を受ける。
また、著書の『刑事裁判の心―事実認定適正化の方策』は、★周防正行が映画作りの参考本にしたという[2]。
棋士の木谷實の二男として生まれる。妹に毎日放送元アナウンサーでフリーアナウンサーの吉田智子がいる。
東京大学法学部在学中に司法試験合格し、1961年3月卒業。同年4月、司法研修所入所。司法研修終了後、1963年に判事補任官(東京地方裁判所)。その後浦和地方裁判所判事部総括や最高裁判所調査官などを歴任した後、東京高裁部総括判事となる。
2000年5月に退官、同年6月、公証人(霞ヶ関公証役場)となる。2004年4月より、法政大学法科大学院教授(2012年、定年退職)。2008年瑞宝重光章受章。2012年より弁護士。
刑事裁判の有罪判決が★99.9%以上を占めると言われる日本の裁判所にあって
★珍しく人権派の裁判官として知られ、現役中に★約30件の無罪判決を確定させた実績を持つ。
彼は、日本の裁判官のほとんどが検察の★言いなりに動いて有罪判決ばかりを出し、大量の冤罪判決を生み出し続けている現状について、
「私はかなり多くの無罪判決を出しましたが、★1件だけしか控訴されませんでした。でも、無罪判決には★たいてい検察官が控訴します。
控訴されると無罪判決が破棄されることが★多いのも事実です。
控訴さ★れない無罪判決を書くには★技術が要ります。い
ろいろな事件で苦労してはじめて一人前の裁判官になると思うのですが、
★無罪判決を書く★苦労をしていない裁判官が多いのは残念なことです。
その結果、検察に物申すような裁判官が私の現役時代と比べて減ってしまいました。皆さん天下の大秀才なのでしょうが、腹の据わった裁判官はどこにいってしまったのでしょうね。この国の刑事司法の先行きが本当に心配です」と苦言を呈している[1]。
【周防 義和】 『それでもボクはやってない』は、2007年(平成19年)1月20日に公開された日本映画。
概要[編集]
周防正行監督による、『Shall we ダンス?』以来10年ぶりの新作映画。前作の封切り後、時間をかけて続けた地道な調査活動を踏まえ、自ら「どうしても作りたかった」という、日本の刑事裁判、人質司法に疑問を投げかける社会派の作品である。
監督は、2002年(平成14年)に東京高裁で逆転無罪判決が出された事件をきっかけに痴漢冤罪(ちかんえんざい)に関心を持ち始めた。自ら取材した数多くの冤罪事件の実在エピソードを作品中にちりばめるなど、痴漢冤罪事件を通じて、日本の被疑者取調べと刑事裁判の、人権軽視の実態を映像化している。
2007年(平成19年)8月には、第80回アカデミー賞・外国語映画部門に日本代表作品としてエントリーされた。また、同年5月には、スイス・ジュネーブで開催された国連の拷問(ごうもん)禁止委員会に合わせて現地で上映され、委員の過半数が映画を鑑賞したという。
また、主人公のモデルとなった一人に2005年(平成17年)、JR横浜線の電車内で女性に痴漢をしたとして逮捕・起訴された男性がいる。男性は無罪を主張したが、2007年(平成19年)の一審で有罪判決が出され、懲役1年6ヵ月の実刑を言い渡された。
『それでもボクはやってない』★公開から2週間というこの時期に、痴漢の被疑としては★異例の実刑判決が出されたことで、周防監督は男性の妻に「私の映画が裁判官の★心証に影響したかもしれない。」と★詫びた。
男性は控訴、上告したが、2008年(平成20年)12月に最高裁判所は上告を棄却し、有罪が★確定した。この事件に関しては、テレビ朝日 『報道発 ドキュメンタリ宣言スペシャル』(痴漢事件で涙の収監「それでもパパはやってない」 = 2009年(平成21年)10月25日付放送)にて放送された。
ストーリー[編集]
フリーターの金子徹平は、朝の通勤通学ラッシュに大混雑する電車で就職面接に向かう際、女子中学生に痴漢と間違えられてしまう。無実の罪を被って示談で済ませるという妥協案を拒み、あくまで濡れ衣を晴らそうとした徹平は、逮捕され、更には起訴されることとなる。そして、徹平と彼の支援者達の長い戦いが始まる。